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2008年2月

2008年2月27日 (水)

ニコール・キッドマン、成海璃子,ダコタ・ブルー・リチャーズら、「ライラの冒険」の試写会に登場

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2月21日、「恵比寿ガーデンプレイス」で「ライラの冒険」の試写会が行われ、国仲涼子、成海璃子(なるみりこ)、近藤真彦らが来場した。華やかな装いの招待者が多い中で、成海璃子は意外に目立たなかったが、その芸能人らしくない雰囲気が若い彼女の良さかも知れない。そんな彼女に、主賓格のニコールがさりげない気遣いをしていたのは、微笑(ほほえ)ましかった。

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出演女優の、ダコタ・ブルー・リチャーズ(新人女優、13)、クリス・ワイツ監督(38)らが登場し、最後にニコール・キッドマン(40)がレッドカーペットの上に現れた時、“わー”と会場がどよめいた。

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ニコールを見たのは僅かな時間で、挨拶も短かった(司会者から妊娠5ヶ月と紹介された)が、バレンシアガ製の明るい白のドレスに身を包んだ長身の彼女はさすがに存在感があった。

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ヒロインのライラ役を演じたダコタ・ブルー・リチャーズは、1万5千人の候補者の中から選ばれた13歳の少女である。 会場に現れた彼女を見て、「可愛い!」と周りから声があがった。 9歳の時、母親に原作を読み聞かされて魅了されたと言う。 原作に、序盤のライラは野生的で、外見に気を使わないと書いてあったので、オーディションではわざと頭をぼさぼさにしていたが、見事クリス・ワイツ監督の目に留まり、大役を射止めた。  将来は教師になるのが夢と言うが、女優業にも興味があるとのこと。

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「シャトーレストラン・ジョエル・ロブション」の正面が出演者の挨拶の舞台に選ばれた。
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掲載写真は、当日の会場以外でのものも含みます。

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2008年2月24日 (日)

「シャトーレストラン・ジョエル・ロブション」

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サッポロビール工場の跡地を再開発した恵比寿ガーデンプレイスのシンボルとしてパリのミシュラン三つ星レストラン『タイユバン』がサービスを、今世紀を代表するシェフ、ジョエル・ロブション氏が料理を担当する、ルイ王朝様式の外観のシャトーレストラン『タイユバン・ロブション』として1994年にオープンしたが、2004年に『タイユバン』が手を引き、株式会社レインズインターナショナル (本社:東京都港区六本木 CEO:西山知義) と株式会社フォーシーズ (本社:東京都港区南青山 社長:淺野秀則)の合弁会社が運営を引き継ぎ、「シャトーレストラン・ジョエル・ロブション」になった。  サービスを担当する人は、実際は殆ど日本人で、特別に来日した時を除き、ジョエル・ロブション氏が毎日料理を作る訳ではないが、日本の最高級フレンチレストラン(グランメゾン)のひとつです。  建物外壁には“レストラン”の看板は一切無く、地下1階と1階に案内表示があるだけなのも高級レストランらしい趣がある。  写真やCMの撮影や、写生にレストラン前の広場を訪れる人も多い。
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地下1階の、恵比寿駅からウエスティンホテルや住居棟、目黒駅方面へ抜ける連絡通路に面した「レストラン・ジョエル・ロブション」の店では、パンやケーキ類を手軽に買う事が出来ます。

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2008年2月19日 (火)

アメリカのイラク侵攻の口実に使われた、コードネーム「Curve Ball」の男

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毎週水曜日深夜(25:55-26:50)のTBSテレビの「CBSドキュメント」は厳選された海外のドキュメンタリーで、日本のメディアとは違った切り口があり、大変興味深い。

2月13日(水)深夜の放送は、アメリカのイラク侵攻の口実に使われた、偽の「生物化学兵器工場の存在情報」の情報源となったコードネーム「Curve Ball」(カーブ・ボール)の男の話でした。証拠となる書面の写しや関係者のインタビュー等で構成されたドキュメントは、現代史の生々しい舞台裏を明らかにするものです。

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向かって左から、ライス現国務長官、パウエル元国務長官、ブッシュ大統領、
ラムフェルド元国防長官

1. 2003年2月5日、当時のアメリカ国務長官(日本の外相にあたる)コリン・L・パウエル氏は、国連安全保障理事会でイラクの大量破壊兵器について演説をした。この中で彼は、生物兵器の移動式製造工場について、イラストを使って説明し、「之はイラク人の化学エンジニアによってもたらされた信頼すべき情報だ」と語った。

2. 後に、情報提供者が「Curve Ball」と言われるコードネームで呼ばれていた事が明らかになった。 CBSは2年に渡って取材し、アメリカに偽の情報を提供した「Curve Ball」の正体を突き止めた。

3. 下の写真は、ラビド・アハマド・アルワンが1993年にバグダッドで知人の結婚式に出席した時のものである。

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6年後、彼は「Curve Ball」と呼ばれる情報源になり、アメリカのイラク侵攻の手助けをする事になる。

4. 1999年11月、当時32歳の彼は、ドイツ、ニュールンベルグ郊外の難民キャンプに車で来て亡命を申請、「自分はイラクの化学技術者で大学時代の成績を見込まれてバグダッド郊外の工場の監督をしていた」、と話した。そして「そこは、表向きは“種(たね)の精製工場”だが、実は秘密の“移動式生物兵器製造施設”だ」と明かした。

5. 彼がドイツ当局に話した内容では、特別装備のトラックが写真右端の工場の一方の入り口から入り、そこでホースやパイプに接続して病原菌を培養し、やがて病原菌を積んだトラックは反対側の出口から出て行く、というものだった。

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之は、“イラクが移動式の生物兵器を開発する可能性がある”という、欧米の情報当局の懸念と一致。ドイツ当局はアルワン氏の身柄をニュールンベルグからエルラムエンに移し、「Curve Ball」と呼ばれるコードネームを与える。そこで週に1・2回、1年半にわたり尋問、本人がアメリカ当局との面接を望まなかった為、情報の要約だけがワシントンに送られた。しかしそれはCIA(Central Intelligence Agency米中央情報局)の分析官を納得させるものだったのである。或いは、イラク侵攻の口実を探していたCIAがこの話に飛びついた、とも言える。

6. その情報を根拠にCIAは、“イラクが炭素菌などの生物兵器でアメリカなどを攻撃、もしくはテロリストグループに横流しする恐れがある”と主張した。「Curve Ball」からの情報で特に注目されたのは、彼が問題の施設で働いていた時に“生物兵器の威力を目の当たりにした。即ち、1998年に起きた事故で、貯蔵タンクの周りで働いていた12人が死亡した”、というものだった。 2001年2月、ドイツとアメリカの専門家がミュンヘンでこの件について討議した。1998年の時点で問題の工場(建物)の前には車が通り抜け出来ない壁があった事が分かった。しかし、「Curve Ball」を信じるCIAの分析官たちは“壁は見せかけだ”と解釈した。更に「Curve Ball」は、“移動式生物兵器計画”の幹部に、著名な核化学者、バシル・アル・サピル博士がいたと証言し、CIAの信頼を深めた。 当時、イギリス諜報局はイラク国外にいる博士を見つけ出し、施設について質問している。CBSも又、博士にインタビューし、その時の映像を記録している。そのインタビューで、博士は、“移動式生物兵器計画”の存在を完全に否定している。博士は、問題の工場は、「本当に“種(たね)の精製工場”であった」と断言している。博士は更に、「もし自分がそのようなプロジェクトに関わっていたら、1999年に出した海外移住申請をサダム・フセインが許可する訳はない」と指摘。  

一方、博士の海外移住を知らされた「Curve Ball」は、驚きを隠せず、情報提供には以前より神経質で、非協力的になった。

7. ドイツ当局も彼に不安を覚えるようになった。アメリカでも2002年12月、元CIA中央グループのチーフ、マーガレット・ヘモック氏が会議で疑念を露(あらわ)にした。「あの男が何者なのか、身分を証明するものが何も無い」と指摘した。「事実だと言う証拠が無いなら、信用するべきではない」、と。しかし、「Curve Ball」を信用する分析官は、「施設での死亡事故で彼が防護服を着用した写真がある」、と反論。ヘモック氏が、「何故、之が彼だと分かるんです?防護服で顔も見えないのに」と訊くと分析官は一言も返す事が出来なかった。ヘモック氏は上司に、「あの情報源は没です」と報告したと、CBSのインタビューで話している。

8. しかしそれでも、「Curve Ball」は、CIAの中で生き残る。 

2002年12月18日、CIA長官のジョージ・テネット氏は、ドイツ諜報局長官に緊急要請をした。その内容は、“対イラク戦について3日後にブッシュ大統領と会談する予定があるので、「Curve Ball」本人をテレビ出演させるか、或いはアメリカ人専門家が彼に面談し、その模様をテレビで放送したい”、というものだった。“それが駄目なら、「Curve Ball」が提供した情報を公開したい”、と。そして“48時間以内に回答をして欲しい”と頼んだ。 

48時間後、ドイツ諜報局長官から文書で回答が来た。CBSは、そのコピーを入手している。ドイツ諜報局長官は、「Curve Ball」本人のテレビ出演も、アメリカ人専門家によるインタビュー要請も却下、その上で、“「Curve Ball」の報告自体は信頼出来そうだ”と記しているが、“情報を立証する事が出来なかったので、未確認の情報として扱うべきだ”、とも付け加えている。 

この手紙についてテネット氏本人はスポークスマンを通じて、CBSに、“見覚えがない”と主張。 之に対し、元CIAヨーロッパ担当チーフのドラム・フェラー氏は、「見ていないと言うなら、当時の特別補佐官に問い質(ただ)す必要があります。実際は長官に手紙を見せた筈です。本人は見たくない手紙だったのでしょう。」と語っている。 

翌12月21日、テネット長官はブッシュ大統領と会談、“イラクの大量破壊兵器の保有は絶対確実だ”と太鼓判を押した。

9. 国連を説得するのは、コリン・L・パウエル国務長官の役目だった。 彼は陸軍参謀長、ラリー・ウイルカーソン大佐をCIAに派遣した。 テネットCIA長官と側近の専門家たちは、大佐の前で、“絶対に間違いない”、という態度でイラクの“移動式生物兵器計画”の話をダイナミックに、ドラマチックに説明した。  

そして、2003年2月5日、パウエルアメリカ国務長官は、国連安全保障理事会で、世界に向けて、「サダム・フセインが生物兵器を保有している」と発表した。会議場に、「Curve Ball」がドイツ当局に説明した工場の模型が映し出された。実は、決定的証拠とされたものは、アメリカ当局が一度も会った事が無い情報源から得た、言葉だけで、裏づけするものが何もない情報だったのである。

10. その3日後、「Curve Ball」が証言した、バグダッド郊外の“移動式生物兵器製造施設”を国連の査察団が訪れた。そこで彼らが見たものは、1998年当時にもあった、問題の工場(建物)の前にある、車が通り抜け出来ない壁だったのである。「トラックが出て行く」と「Curve Ball」が言った建物の反対側にも壁があり、トラックが出て行けないばかりか、建物には出口すら無かった。建物内を精密に調査し、サンプルを採取したが、生物兵器の痕跡は全く見つからなかった。 

しかし、この査察結果は何の影響力も無かった。 アメリカのイラク侵攻は査察結果報告の3週間後に始まったのである。
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11. アメリカがイラクを制圧し、大量破壊兵器を探し始めた頃、「Curve Ball」の話に破綻が生じ始めた。

「Curve Ball」こと、アルワン氏はドイツ情報当局に「化学工学科を最優秀で卒業した」と話していたが、彼の大学の成績が見つかり、100点満点で50点前後だった事が分かった。

結局、問題の工場は単なる“種(たね)の精製工場”であった事が判明した。アルワン氏は1995年に“種(たね)の精製工場”を辞めた後、バベルテレビ制作会社に就職し、そこで高価な装置を盗んで逮捕されている。12人の犠牲者が出たという“1998年の工場の事故”は、根も葉もない全くの作り話だったのである。アルワン氏は当時、イラク国内にすらいなかった。

12. 2004年3月、ドイツ情報当局は、CIAがミュンヘンで「Curve Ball」の尋問を行う事を許可した。

建物の前の「壁」が鍵だった。CIAが「Curve Ball」に、施設の写真を見せ、壁の存在を指摘すると、彼は、「写真を修整(合成)したのですね」と言った。壁は1997年に建設されたので、1995年に工場を辞めていた「Curve Ball」は、壁の存在を知らなかったのである。 CIAは、結局、「Curve Ball」がペテン師だった事を認めざるを得なかった。 

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彼が何故、作り話をしたのか?ドラム・フェラー氏は、“ドイツの永住許可が欲しかったので、機密を知っていると言った”、と推測する。 アルワン氏は結局、望みのものを手に入れ、現在は新しい名前でドイツで暮らしている筈である。  

WHO(World Health Organization―世界保健機構)はイラク開戦で15万人以上の民間人が犠牲になっている、と最近、発表している。

13. コリン・L・パウエル元国務長官は、その後、ABCテレビのインタビューで、2003年2月5日の国連安全保障理事会の演説は、「我が人生の汚点だ」と語っている。  

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アメリカ軍に捕まり、「大量破壊兵器の存在を何故、ハッキリと否定しなかったのか?」と、CIAから尋問されたサダムフセイン・イラク元大統領は、「隣国イランへの牽制と、アメリカがイラクを攻撃するとしても、局地的・限定的なものにとどまると思った(前回、イラクがクエートを攻撃した時、アメリカはバグダットまで侵攻しなかった)」と答えたということである。 その後、彼の死刑が執行された。

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2008年2月12日 (火)

新規開店の “SMOOCH”

昨年1210日、「恵比寿ガーデンプレイス」に新しい路面店が開店した。

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先ず、この店を見て名前が分かる人、発音できる人が何人いるだろうか?

店の前にパンフレットがあったので、読んでみたが、店の名前は直ぐには分からない。

家に帰って落ち着いてじっくり読んで、どうやら、看板はSMOOCH と書いている事が分かる。

パンフレットの文面を引用すれば、【 “スムージー”と呼ぶビタミンとミネラルが豊富なリキッドミール】を売っている事が分かった。

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価格は、1カップで@500円前後です。 店の前には可愛いテーブルと椅子にひざ掛けも置いてありますから、わんちゃんと一緒の人も“スムージー”を楽しみながら戸外で一休み出来そう。

東京駅の地下街に1号店が昨年8月に開店し、「恵比寿ガーデンプレイス」は2号店で今月には赤坂の「山王(さんのう)パークタワー」に3号店が開店の予定とパンフレットに書いてあります。

ホームページhttp://www.smooch.co.jp/ を覗(のぞ)いて見ましたが、最初のページが英語だけなので、思わず、「間違えたかな、英語のサイトに行ったのかな」と思いました。 2ページ目以降も、説明は見出しが英語で、日本語は字も小さく、一寸、読み難いかな・・・ 

そして、気づいた事は、このホームページは、昨年8月の1号店の開店の際に作成されたもので、その後は更新されておらず、2号店、3号店の記述が全く無い事です。

さて、私がSMOOCHの経営陣なら、次のようにするのだが・・・

   特徴のある健康志向のヘルシーなフード(飲み物・食べ物)なので、メディアに頼んで、出来るだけ多く取り上げて貰います。頼み方も通り一遍でなく、色々、方法・手段を考えます。 メディアに取り上げて貰った記事や写真、等をパネルにして店の前に掲示してお客さんに告知し、通行人の興味をかき立てるようにします。予算があれば可愛い子ちゃんを店の前に立たせて試飲(食)を客に勧め、その様子を“新しい健康フードが日本に上陸した”という趣旨・触れ込みでテレビや雑誌に取材し、報道して貰います。

   商品“スムージー”は未だ日本では認知度が低いので、商品説明を大きく店の前に出します。 

   店の名前が分からない事には話にならないので、看板に、英語のロゴとマッチする(似合う)日本語の書体を考えて、日本名もつけます。

   商売は“売れてなんぼ”の世界です。「一寸、食べて(飲んで)みよう」という気持ちを起こさせる価格に思い切って値下げします。

   ホームページは適時、更新し、内容も読んで面白い、興味がわくように工夫します。何事も客の目線で考え、分かり難い横文字を前面に出すのは控えます。

最後に、店の名前は、「恵比寿ガーデンプレイス」の案内所に訊いてやっと分かりました。 「スムーチ」と呼びます。

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2008年2月 6日 (水)

とんかつ総菜店「まい泉」を「サントリー」が継承

先月17日の発表であるが、「サントリー」がとんかつ総菜店「まい泉」(東京都渋谷区神宮前4)の全株を取得の予定であると言う。

「まい泉」は箸で切れるやわらかなとんかつが有名で、地下鉄「表参道」駅から歩いて約5分の青山本店には私もよく行った。

場所は20062月にオープンした「表参道ヒルズ」の裏に当たる。本店はメニューも刺身が入った和食等、バラエティーがあった。

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格安の価格で客を引き付ける店ではないが、味・サービスの内容を総合的に考えると、「又行こう」と思わせる店である。エリアの飲食店には珍しく、無料の駐車場があるのもお客の事を考える姿勢が現れて有難かった。 

1階のカウンター席の奥に、元銭湯の脱衣場を改造した客席があり、格子模様の天井は高く、独特の雰囲気がある。

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今回の報道で改めて調べてみると、店は、1965(昭和40)年、前身の「井泉」として有楽町・三井ビル地下で、主婦だった小出千代子さんが創業された。

「まい泉」ブランドは「ヒレかつサンド」などの人気商品で知られ、青山本店(神宮前4)をはじめ、全国に直営レストラン2店、デパート内のレストラン5店、惣菜等売り場52店、長野、高津に工場、下田にテクセンター等がある。

一代でこれらを築き上げられたのは見事と言う他はない。

私が青山の本店に行き始めた時は既に名前も知られ、繁盛店になっていたが、代表者の小出千代子さんが店にもよく顔を出していて、気さくにお客にも声をかけられていた。 

その言動のはしはしに、客を大事にし、店を愛する姿勢が伺えて、見ていて感じが良かった。 

何事によらず、経営トップのこのような姿勢を見るのは嬉しい事で、心が温まるものである。

報道によれば、77歳になられるとのことであるが、創業以来42年間、走り続けて人生のゴールを考えられて、育てた事業の継承をサントリーに託されることにされたのだろう。 

サントリーは、外食産業も海外も含めて手広く経験を積んでおり、経営トップは創業家でサラリーマン社長ではないから、目先の業績・評価に捉(とら)われることなく、将来を見据え、創業者の意を継いで、真に社会の為になる「まい泉」ブランドを育てて行くに違いない。

追記

今回のサントリーによる「まい泉」の株取得について、新聞やTVで伝えている「買収」という言葉は違和感があり、適切でないと判断します。

上述したように、店頭で接した創業者の言動等から、彼女が、我が子同様に心血をかけて育てた「まい泉」の味・技術・サービスを、後世に残していく為に、サントリーとも十分協議し出した選択だったのであって、単なるビジネスの売買ではないと思いましたので、本ブログでは「買収」という言葉を使わず、「継承」と表現しました。

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2008年2月 4日 (月)

「ウェスティンホテル東京」がシンガポール政府投資公社(GIC)へ月内にも売却へ

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23日の日本経済新聞の報道によれば、「恵比寿ガーデンプレイス」の中にある

「ウェスティンホテル東京」が再び外資へ転売される事になった。 

ホテルは建設当時(199410月)は敷地の所有者であったサッポロホールディングスが保有していたが、2004年に米モルガン・スタンレーへ約500億円で売却された。この時(2004年当時)は、サッポロの評価価格より(或いは、以前のモルガンのオファーより)100億円のアップだったので、500億円ならと、サッポロが応じたものであったと言われる。そして500億円から4年も経たない、今回のモルガンからGICへの転売価格は約770億円であると言う。

日本は政治はお粗末だが、国民は勤勉でおとなしく、無能な政治や悪辣な役所に反乱を起こす恐れもない。政情が安定しているので、世界中を駆け巡る臆病で神経質なお金も、日本には安心して入って来る事を思い知らされた。 サブプライム問題で、多くの金融機関が融資に慎重な中で、さすがの外資系ファンドも不動産投資を控えざるを得ないようになったが、金融機関の融資に頼らない政府系外資ファンドの資金力を改めて見せられた買収劇である。

外野席の無責任な意見として言わせて貰えれば、もしもサッポロがサラリーマン経営者でなく、オーナー経営であったら、目先の業績に捉(とら)われないだろうから、都心の貴重な資産を、“一寸価格が高いから”と言って手放したりはしなかったのではないか。心あるオーナーならば、折角の資産を生かし、地域に、社会に役立ち貢献するホテルを目指し、経営に目を光らせ、保有を続けたかも知れない。

もっとも、オーナー経営だから良いとは一概には言えない。かって不動産会社「地産」が持って全国及び海外に展開したホテルは、ワンマン経営の悪い面が出て改装もままならず、陳腐化し、業績不振で結局はファンドが買収し、資金を投入してホテルを再建した。 又、オーナー経営は、ホテルのスタッフがお客よりもオーナーの顔色を大事にするようになる恐れもある。かってのプリンスホテルにそのような面が見られた。 幕張のプリンスホテルを買収した“アパ”グループが今後どのような経営をするのか。本当の合理化、地域・社会のニーズに応えた運営手法の工夫・開拓ではなく、お客を金儲けの対象としか考えず、目先の収益を優先して、安易にホテルスタッフの削減をするようなことをすれば、結果は言うまでもない。

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