« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月

2008年9月29日 (月)

新宿デパート戦争を勝ち抜く京王百貨店の戦略(5)

京王百貨店では、店のポイントカードの使用実績(何処で、何を買ったか)の分析から、例えば、スポーツ用品を買った客が同じ日に紳士用品をついで買いしている事が分かりました。
このような分析から、もっと、ついで買いして貰おうと、婦人服売り場の通路に、男性と女性のマネキンを並べて置きました。 
このような数々の取り組みの結果、ついで買いが、前月比0.4%増加という数字が出ました。 

山本敏雄(やまもと としお)社長は語っています。
「戦中・戦後の世代の方々と、団塊の世代の方々を較べると、団塊の世代の方々は、とてもおしゃれになっています。最近はテレビや雑誌、それに町を歩いている若い方も含めて、ありとあらゆるところからファッションに関する情報が入ってきます。
若い方との情報の共有化っていうんですかね、そういう意味で、(今は中高年の方が)非常におしゃれになっていると思いますね。」

「京王百貨店には100万人のカードホルダーがおり、その7割が50代以上のお客様だということで、そのお客様を深彫りしていく、メインターゲットにして店作りをしていこうと考えています」

「お客様が何を求めているのか、正確につかんで、そのお客様の欲するものを、どうやって我々の店で展開出来るのか、品揃え出来るのかが、一番大事なことだと思います」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月28日 (日)

新宿デパート戦争を勝ち抜く京王百貨店の戦略(4)

京王百貨店では、黄色や茶色など、等落ち着いた色が中心だった婦人服にカラフルな色を増やしました。 更に、中高年の体型をカバーする為に、細やかな工夫をこらしました。
例えば、胴回りはゆったりしながらウェストに向かって、体がしまって見えるように、細く絞っています。
年齢とともに体型が変わってゆく女性達に配慮した様々な品揃えをしています。

「こういうものが欲しい、こういうシルエットが素敵だね、という声を拾い集めたのがシルエットや色につながった」婦人服の担当者は語っています。

「(従来の)シルバーの概念では、中高年の今の感覚は捉えられない。 お客様が何を求めているのか、それを徹底的に追求していく事が、我々に、利益として返って来る。」山本敏雄(やまもと としお)社長は語っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月27日 (土)

新宿デパート戦争を勝ち抜く京王百貨店の戦略(3)

山本敏雄(やまもと としお)社長(60歳)が、おしゃれに気を配る中高年の女性の存在に気が付いたのは、東京・八王子の店に勤めていた14年前の事です。

八王子店は20代・30代の若い女性をターゲットにしていましたが、以外にも、40代・50代の女性が、若い世代向けの服を買っていることに気づいたのです。

山本社長は語っています。「もしかすると、私達が勝手に年代を決めるのは、間違い、・・・、ミセスだからこういう商品、と勝手に決めつけることではない、とその時、感じました。」

山本社長は、その経験を生かし、新宿本店の婦人服売り場を一新します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月26日 (金)

新宿デパート戦争を勝ち抜く京王百貨店の戦略(2)

「いつまでも若々しくありたい、美しくありたい、そのお客様の要望を出来るだけ満たすような店にしていくのが、今後の京王百貨店の使命」と言い切る山本敏雄(やまもと としお)社長(60歳)

中高年向けの杖(つえ)のデザインもおしゃれに、カラフルに豊富に取り揃えています。

京王百貨店が最も力を入れているのが靴売り場で、ここで売れているのが、ウオーキングシューズですが、実に800種類も揃えています。
「旅先で楽に歩き回れて、しかもおしゃれな靴」、といった難しい注文にも応じます。
京王百貨店は、ウオーキングシューズの売り上げが日本一です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月24日 (水)

新宿デパート戦争を勝ち抜く京王百貨店の戦略(1)

9月14日のNHK総合テレビジョンの「経済羅針盤」に京王百貨店の山本敏雄(やまもと としお)社長(60歳)が出演し、新宿デパート戦争を勝ち抜く京王百貨店の戦略が紹介されました。

東京新宿は、新宿駅を中心に半径1キロ以内に4つのデパート

伊勢丹・年間売り上げ2,633億円、
小田急・1,134億円、
京王・976億円、
高島屋・768億円

がしのぎを削っています。

中で、京王百貨店は、従来、デパートのメインターゲットとされてきた若い女性に目を向けるのではなく、中高年の女性をターゲットにした独特の戦略を展開しています。
その為、店内には、他のデパートのような高級ブランドのショップは1つもありません。

番組では、中高年の女性に配慮した工夫の幾つかを紹介していました。
1)乗り降りがし易いように、エスカレーターのスピードを一般的な百貨店より遅くしてあります。
2)お客様が座る椅子を低めにして、楽にしっかり足がつくように配慮しています。
3)そして、商品の品揃えにも独特の配慮があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月23日 (火)

日本で最初にできた農業の株式会社、㈱ぶった農産(佛田 利弘(ぶった としひろ)(47歳)社長)の新しい農業経営(その7)

地元農家と企業(旅館、食品メーカー、スーパーマーケット)と話し合いをする場を設定した、㈱ぶった農産の佛田(ぶった)社長は語っています。 
「折角、近くにいながら農家と企業がかみ合っていない、問題解決を論ずる場があるのではないか。」
佛田(ぶった)社長は、「こうした集まりを通して、農家の意識改革が進んで欲しい」、と考えています。
旅館側も、「他の県のものをものを使うよりも、胸を張って石川県のものを使いたい」と言っています。

「何故、他の農家に声をかけるのか?」という番組キャスターの問いかけに、佛田(ぶった)社長は次のように答えています。
「地域が良くならないと、自分の会社の経営も良くならない。地域として何が出来るか地域の人と考えていく事が大切。」 
その為に、佛田(ぶった)社長は農業専門のコンサルティング会社も作りました。

佛田(ぶった)社長は語っています。「今の時代にあった仕組みを作りたい。 産業として、地域を守る社会性と両方を掛け合わせていく事が日本の社会にとってとても必要な事だと思う。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月22日 (月)

日本で最初にできた農業の株式会社、㈱ぶった農産(佛田 利弘(ぶった としひろ)(47歳)社長)の新しい農業経営(その6)

能登半島では、多くの、農家は収穫した農産物を農協に収めるだけで、自ら販路を拡大する努力は余りしてきませんでした。

地元の農家の方が語っています。

「実際、誰かがやってみて、良かったという話を聞いてから、俺もやってみようかという人は多いかと思うけど、(そうでなければ)之までの生き方を否定する事になるので、新しい事にチャレンジするのは難しいことかと思います。」

一方、地元・石川県の一流ホテル・加賀屋では年間30万人が宿泊し、多い時は1日1,500人の食事を用意しますが、地元の農産物を使うことは余りありませんでした。 

そこで、佛田(ぶった)社長は地元農家に声をかけ、企業(旅館、食品メーカー、スーパーマーケット)と話し合いをする場を設けました。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月21日 (日)

日本で最初にできた農業の株式会社、㈱ぶった農産(佛田 利弘(ぶった としひろ)(47歳)社長)の新しい農業経営(その5)

佛田(ぶった)社長は、「お米の生産は音楽と同じく、生活に大事なものだ」と、ミュージシャンを応援するファンド会社で熱く語り、出資してもらう話を纏(まと)めました。 

配当は、現金か、お米をお客さん(投資家)が選択出来るようにしています。
勿論、お米を食べて貰う、という新しいお客さんとの関係を築きたいという狙(ねら)いもあります。

佛田(ぶった)社長は語ります。
「色んなことに挑戦していきますけれども勿論、全部が成功する訳ではないですよね。失敗もします、
大きな問題が立ち塞(ふさ)がってどうにもならないこともあります。 
ですから、失敗を克服し、問題を解決するのが、私は仕事だと思っています。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月20日 (土)

日本で最初にできた農業の株式会社、㈱ぶった農産(佛田 利弘(ぶった としひろ)(47歳)社長)の新しい農業経営(その4)

㈱ぶった農産は新しい試みとして、生産する米を対象に投資ファンドから資金、1,000万円を調達しましたが、佛田 利弘(ぶった としひろ)(47歳)社長)の感心するのは、そのファンドは元々は、ミュージシャンを応援するファンドだった事です。 

インターネットを使って、好きなミュージシャンへの投資を呼びかけ、集まった資金で音楽CDを制作する会社だったのです。

音楽CDと米の生産は関連性がありませんので、そこに頼みに行くことは普通では、最初から無理だと思ってしまって、出来ない事です。 
でも、そこに乗り込んで、お米生産に必要な苗や、肥料を調達する為の資金を頼みに行くのが佛田(ぶった)社長の行動力のある凄(すご)いところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月19日 (金)

日本で最初にできた農業の株式会社、㈱ぶった農産(佛田 利弘(ぶった としひろ)(47歳)社長)の新しい農業経営(その3)

講演会に参加した農家の方々は佛田利弘(ぶった としひろ)社長を評して言っています。
「先を読む農家だと思います」
「行動力が全然、違いますね」

佛田利弘(ぶった としひろ)社長は語ります。
「農業は非常に遅れている分野だとよく言われますが、農業とて例外ではなくて、工業や商業と同水準の経営手法や経営技術を取り入れていくべきだと思っています。農業だからといって特別な事ではないと思っています。」

佛田利弘(ぶった としひろ)さんは22年前、高校を卒業して直ぐ農業を始めた普通の農家ですが、或る日、取引先の漬物がとてもよく売れているという話を耳にし、自分でもやってみると、之が大人気で、蕪(かぶ)が10倍近い値段になって飛ぶように売れたのです。 
加工して付加価値をつけて売れば農家も儲ける事ができるのに気づきました。 

「農業者が農産物・加工品を販売するのは当時珍しかった。 
ですから、農業者が商売人になったと批判もされましたが、やはり、自分で値段をつける、価格形成力をつける事により、計画的な経営が出来るようになります」

以来、佛田利弘(ぶった としひろ)さんは、ナスやきゅうり等の農産物を次々に漬物に仕上げて販売していきました。 

更に、お米でも、農薬を減らし、有機肥料で育てたという付加価値をアピール、高値の価格設定にも関わらず、注文が相次ぎました。 

インターネットが登場すると、いち早くホームページを立ち上げ、自社製品を販売しています。

又、会社組織にして、更に進んだ農業経営を目指しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月18日 (木)

日本で最初にできた農業の株式会社、㈱ぶった農産(佛田 利弘(ぶった としひろ)(47歳)社長)の新しい農業経営(その2)

㈱ぶった農産の具体的な事業は、
1)ナスやきゅうり、蕪(かぶ)等を漬物にして直接販売する事により、食材のままで売るよりも価格は10倍になっています。

2)減農薬・有機肥料の米を生産し、高値にも拘らず、飛ぶように売れているとの事です。

3)インターネットを使って、自社製品を顧客に直売しています。

文章で書いてしまえば上記のように簡単ですが、注目すべきは社長の佛田利弘(ぶった としひろ)さんの抜群の行動力です。

自ら農場で働く傍ら、或る時は東京で流通関係者と打ち合わせ、又或る時は、農家の皆さんを集めた前で講演し、意識改革を迫ります。

佛田利弘(ぶった としひろ)社長は語ります。

「まさに、農・商・工連携という視点からも、どういう価値を提供していくかという事が早急に求められているという事であります。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月17日 (水)

日本で最初にできた農業の株式会社、㈱ぶった農産(佛田 利弘(ぶった としひろ)(47歳)社長)の新しい農業経営(その1)

9月7日のNHK総合テレビジョンの「経済羅針盤」で7年前、日本で最初にできた農業の株式会社、㈱ぶった農産(佛田 利弘(ぶった としひろ)(47歳)社長)の話が放送されました。

実質的に僅か22分の放送時間でしたので、掘り下げが足りず、内容的に物足りなさがありましたが、概略を紹介します。

1)加賀百万石・石川県の㈱ぶった農産は、従業員10名ですが、顧客は全国にわたり、2万人で、年間売り上げ1億1千万円、米や野菜を加工し自ら販売する事で儲かる農業を実現しています。

2)農業を会社組織でやるのは、開かれた組織にして、社員が夢を持ち、人間力を高めてもらうのが目的です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月16日 (火)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(13)「院長は、院長室にじっと座って見ているのでは駄目」「国よ医療現場の実態を知れ!」

様々なアイデアと改革で過疎の村の地域治療を守る谷、肩書きは名誉院長となった今もリハビリ部門の現場に立つ。
「リハビリを担当する医師がおりませんのでね、だから早く次に何方(どなた)かやってくれないと困るんです。」

その前の院長時代には、病院の受付で総合案内係をした。
「院長は、院長室にじっと座って見ているのでは駄目なんで、以前から、病院が300床ぐらいになったら、院長はマネジメントだけで良いと言われているが、それは一寸、間違いではないかと思うんですね。 
こういう高齢社会になり、どういう患者さんが増えてきたか、どういう患者さんが入院しているか現場を見る事は、病院を運営していく上で、非常に大切だという気が致しますね。」

谷名誉院長は言う。
「国はあまりにも現場を知らなさ過ぎる。いつまで経っても(問題は)解決しないような気がします。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月15日 (月)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(12)病院とはサービス業である

谷氏は言う。
「病院とはサービス業である。」
そしてその真意は?
「僕が医師たちに言う事は、患者さんは弱者だから、そういう人に対して怒鳴りつけたり怒ったり、つい出るんですね。
夜中に熱が出た子供を連れてきたら、昼から熱があるのに、何で夜中に来るんだ!とか、そういうことは言うべきではない。連れてくるのが遅れたのはそれなりの理由があるんだからと」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月14日 (日)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(11)公立病院でも、赤字では自治体が音を上げる

公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷氏は語る。
「公立病院は黒字を出す必要は無いという病院が非常に多かったが、都会の神戸市とかは、自治体が大きいから赤字でも大丈夫だが、人口10万人以下の町では赤字だと恐らく、自治体が音をあげる。 
だから、最低限、トントンで行かないと欲しい医療機器も買えない。 
(そうなると)だんだん、医療の質も低下していきます・・・」

「僕は仕事の事で、利益を上げてくれとか、患者さんを多く診てくれとか言った事は今まで一度も無いんです。 
良い医療をすれば、必ず、患者さんが増えてきますので、(患者さんが)増えると言う事は必ず利益に繋がってくるんです、結果として。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月13日 (土)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(10)黒字経営の秘密 その6 医師不足対策⑥看護師の養成と活用(2)

番組は、筋肉が次第に動かなくなる「筋萎縮性側索硬化症」というある難病患者の例を伝える。
自力で呼吸出来ない為、気管を切開し、直接のどに呼吸器を取り付けて生命を保っている。
この重病の患者も、但馬地域300軒以上の家を廻っている訪問の看護師チームがあるお陰で、前回のブログで述べたように、病院の入院生活ではなく、自宅で療養する事が出来る。
医師が行う高度なケアまで出来るプロの看護師達の存在が、通常なら入院生活を送らなければならない患者が自宅で過ごせる事を可能にしているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(9)黒字経営の秘密 その5 医師不足対策⑤看護師の養成と活用

医師不足に負けない八鹿(ようか)病院の切り札は白衣の天使である。

八鹿(ようか)病院の看護師数は、全国の病院の中でもトップクラスで、100床あたり76.2人で、全国平均の36.7人を倍以上と大きく上回っている。 

その秘密は八鹿(ようか)病院は独自に、八鹿(ようか)病院看護専門学校を作っている事にある。

都会の病院でも看護師が集まりにくいが、この学校のお陰で毎年10人以上の看護師が確保出来る。
看護専門学校の学生が言う。「八鹿(ようか)病院に就職しようと思っています。 但馬の人と関わって生きたいという思いが強いので」

そしてこの看護師達の活躍が病院や医師の負担を大きく減らしており、医師不足対策にもなっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月11日 (木)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(8)黒字経営の秘密 その4 医師不足対策④自宅療養の積極的支援(2)

「お父さん、病院で入院生活をするのと、家とどっちがいい?」と家人が自宅療養の患者に聞く。 
「喧嘩しとっても家のほうがいいなあ」と患者に話しかける家人。
「いよいよ無理だという状態なら、病院に入れずに、このまま自宅で看取りたいなあという気持ちがありますんですけど・・・」家人は語る。

自宅復帰率は全国平均は65.8%であるが、八鹿(ようか)病院では81.5%である。 患者の自宅復帰を支援する事は結果として医師不足対策にもなっている。

重病患者の自宅療養を可能にする公立八鹿(ようか)病院の専門の看護師チームについて次回に述べる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月10日 (水)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(7)黒字経営の秘密 その3 医師不足対策③自宅療養の積極的支援

公立八鹿(ようか)病院のリハビリ病棟では、患者が出来るだけ家に帰れるようお医者さんが指導している。

更に、専門のスタッフが患者の家を訪問して、患者が自立出来るように、患者が自宅で療養する為に生じる家族の負担を少しでも減らせるように、必要に応じて、例えば何処に“手すり”を付けたら良いか名ドバイ、フォーム工事のアドバイスなどをしている。

そして、後述するが、患者の自宅療養を支援する専門の看護師チームがある。
これらの連携により、患者の自宅療養を積極的に支援している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 9日 (火)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(6)黒字経営の秘密 その2 医師不足対策、②何でも診られる医師―総合診療医の重要性(2)

公立八鹿(ようか)病院・谷名誉院長が総合診療医について語る。
「昔は近所のお医者さんが、子供が生まれた時からこの子は何処が悪いとかよく知っている。 
そういうお医者さんが全部診ていたが、今は小児科は小児科だけ、というようになってきた。大きな病院でも、例えば内科の医者でも自分は循環器だけ、或いは消化器だけとなって、他のことは知りませんという事になる。 
そうすると専門医の医者を沢山雇用しなければならない。
それでは大きな病院と言えどもやっていけない。 

だけど、病気は(専門医でないと手に負えない)そんなに難しい病気ばかりではなく、大体、8割・9割は総合診療医で治療が出来る訳ですから、内科で幅広く診てくれる先生の方が病院は欲しい。 
それを全部、専門分科したから、医者不足に拍車がかかってきた。」

「日本は専門医ばかり養成していて、悪い事ではないが、総合診療医という考え方の医師が全国的に増えないといけないと思います。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 8日 (月)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(5)黒字経営の秘密 その2 医師不足対策①何でも診られる医師―総合診療医の重要性(1) 

八鹿(ようか)病院では初診で訪れると専門の診療科ではなく先ず、「総合診療科」に通される。

八鹿(ようか)病院の医師は言う。
「病院に来る患者さんの内、専門医でないと診られない患者さんは2割くらい。専門医が診る分を少し減らせば、医者が少なくても効率よく地域医療を維持出来る仕組みが出来る筈です。」

ベッド10床あたりの医師の数を見ると、400床規模の病院では、全国平均1.5人の医師であるが、八鹿(ようか)病院は1.1人である。 内科では0.6人しかいない。 

このような医師不足の事情にも拘らず八鹿(ようか)病院では多くの患者を診ているのは、総合診療医のお陰である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 7日 (日)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(4)黒字経営の秘密 その1「移動検診車」

或る日の八鹿(ようか)病院。
朝、7時半、八鹿(ようか)病院のスタッフが忙しく働いてる。「移動検診車」の出発準備の為だ。
八鹿(ようか)病院では、東京都と同じ面積の広大な但馬を「移動検診車」でくまなく廻り、定期健診を行っている。  

今まで5万人以上を診断してきた。 
「移動検診車」では、ガンの早期発見に繋がる、エコー検診を、通常は5,300円のところ1,100円の格安料金で提供している。
車さえ通れれば、山奥の集落にも行く。 
これが足の弱い高齢者に喜ばれている。

住民は言う。「来てくれて、有り難い。 他の集落の人も来られます。」
「子宮がんの疑いがあるから、今度、調子が悪かったら、(病院に)来てくれって言ってくれて、有り難いです。」

この住民サービスが結果として病院に黒字をもたらしている。
医師は語る。「検診で儲けるのではなく、病気が見つかると病院に来て貰える。それで(全体の経費が)賄(まかな)えるということです。」

しかも、重病患者になってからだと医師たちの負担も大きいが、早期治療であれば、数の少ない医師で済む。

即ち、「移動検診車」で町中を回って出張診察を行い、地域住民の癌などを早期発見する。これで、外来患者が増え、更に早期治療の為、医師の負担も軽く、少ない医師の数で地域医療に対応出来るのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 6日 (土)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(3)

八鹿(ようか)病院は、60年前の1949年に、元々あった、伝染病隔離病棟の一部を使って開業した。  
鳥取大学出身の谷・現八鹿(ようか)病院名誉院長は、38歳の時に八鹿(ようか)に赴任する。 
そして何と2年後には院長を任されてしまう。

本人曰く、「無理やり院長にさせられて・・・僕が辞めると誰も院長をするものがいなく、病院がつぶれてしまいますから、苦労がそこから始まったんですね。」
その後、30年に渡って院長を勤め上げ、八鹿(ようか)病院を大病院に育て上げる。

全国の8割の公立病院は赤字と言われる中にあって、数々のアイデアと改革で22年間黒字を続ける経営手腕を発揮するのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 5日 (金)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(2)

兵庫県の北部、東京都とほぼ同じ面積の但馬地域にある養父市八鹿(ようか)町は、京都から特急を乗り継いでも2時間以上かかる、人口僅か1万1千人の、日本中のどこでも見られる、過疎の典型のような町である。

しかし、駅から5分もいくと突然、巨大な建物が姿をあらわす。
ベッド数420を誇る公立八鹿(ようか)病院で、但馬地域全体から、年間14万人もの患者が詰めかける。 

院内には最先端の医療機器が並ぶ。 
魅力はそれだけではない。
「お医者さんも、看護師さんも対応が良いですよ。」
「ここに来る事で癒されてるものがある。」
来院する人達は言う。

患者達を魅了する、この病院を作り上げたのが、今年80歳になる現在も医療の現場に立ち続ける 谷名誉院長である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 4日 (木)

街から病院が消える! 崩壊する地域医療に挑む 公立八鹿(ようか)病院 名誉院長・谷 尚(たに・ひさし)氏の場合(1)

現在、日本中の街の公立病院が次々と閉鎖され、地域治療が崩壊し、大きな社会問題になっている。 
8月22日のニュースでも、千葉県銚子市立総合病院が、9月末日で運営を休止する事が報じられた。
その原因は日本列島を襲う医師不足だという。

そんな厳しい状況の中にあって、コウノトリが最後まで生き延びたところとして知られる僻地(へきち)である兵庫県北部の但馬地域で、22年連続で黒字経営をたたき出した公立病院がある。

8月18日夜放送のテレビ東京の「カンブリア宮殿」に、公立八鹿(ようか)病院の名誉院長の谷尚(ひさし)氏が出演し、どのようにして地域医療と闘って来たか語っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 3日 (水)

アリスファームの羨(うらや)ましい いきかた(10)

テレビ番組では蝶採集や、村の人々と蛍の観察会を楽しむ藤門氏の姿を追っています。
二人の息子は医者を目指して今は大学生ですが、父親について次のように語っています。「自分のやりたいことを職業にして形にしていく力とかは凄い。自分が出来るかと言われたら、まあ、無理じゃないかと思います。本当に・・・」

アリスファームのホームページにある、藤門 弘北海道通信は、「このページは藤門が友人に向けて配信している「藤門弘・北海道通信」を転載したものです。内容的にいって、広く一般の方に向けたものではありません。」と断っていますが、氏の考え、生き方の側面が分かり興味深いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 1日 (月)

アリスファームの羨(うらや)ましい いきかた(9)

現在、農園では5000株ものブルーべリーを中心に各種の果物を栽培し、そこで作られる手作りのジャムがおいしいと大変な評判になり、年商2億円をたたき出しているのである。

安定した事業基盤の上に、藤門氏は野山を駆け巡り、自然の中で遊ぶ事が大好きだったという少年時代の夢を今も追っている。

彼は、家の裏山の林の中に“鳥見小屋”と称する小さな小屋を手作りした。
鳥は人の姿が見えると見えると警戒して、鳥自身が楽しめないので、人の姿が鳥達から見えないように、小屋を建て、その中から鳥達がリラックスした状態で自然に色々なことをしているのを、こっそり覗き見ようと言う訳である。
春先などは、ここに入ると1時間くらいは動けないという。
本当に自然が好きな人ならではの姿ではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »