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2009年5月

2009年5月31日 (日)

女優・酒井和歌子(さかいわかこ)さん(60)が、5月26日テレビ朝日「徹子の部屋」に出演され、南極・北極旅行や健康法、食事や結婚に対する思いなど語っておられました。(4)「そうですねー、やっぱり、縁でしょうかね・・・」

4)黒柳徹子「そう、その間に、あ、ちょっといいかなっていう方にはお会いにならなかった?」 

酒井和歌子「そうですねー、(考えながら)やっぱり、縁でしょうかねー・・・ええ、はい・・・」 
黒柳徹子
「そうですか、私なんか、よくね、これから先でも、一緒にお茶飲んだり、貴方はお母様がいらっしゃるからいいけど、誰か一緒に行く人がいたら良いな、と思うんですけど、ちょっとね・・・私、本当は年上が好きだったんですけど、今、年上というと一寸、大変になっちゃうんで・・・年下の人でいい人がいて、お茶でも飲んでくれるっていえば、いいかなって、ぐらいの気持ちは持っているんですよ、私も。」 

酒井和歌子「ええ、そうですね、やっぱり、そういうボーイフレンドがいたほうが確かに・・・」 

黒柳徹子「そう思うでしょう、だから諦(あきら)めたり、やめたりしないで、貴方はまだお綺麗なんだし、今、60と仰(おっしゃ)ったから、あれですけど、一寸見たら全然、分からないから、そんな、今でも酒井さんは若々しく、初々(ういうい)しくって、良(い)いわあっていう感じで(笑う酒井和歌子さん)、普通、60ぐらいになっちゃうと、女の人って、もう、どうにでもしてって、(椅子の上で、ふんぞりかえる格好をする)、全部がそうじゃあないけど・・・でも貴方は今でも、ハンカチなんか(口に)持って、(酒井さんがハンカチを口に持っていって、恥ずかしそうに笑う仕草の真似をする)、そういう方もいらっしゃるんだなっと思って、60でね・・・いえいえ、なんてそんな、そりゃあもう、何処かで、良縁に恵まれるっていうことがあると思いますよ、きっと。」
 
酒井和歌子「そうですか、一寸、期待しても良いでしょうかね・・・」 

黒柳徹子「いいと思いますよ、絶対。だって、いくつだからいけないなんてないし、どういう関係でもいいんだし、それはもう、希望を持って」
(続く)

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2009年5月29日 (金)

女優・酒井和歌子(さかいわかこ)さん(60)が、5月26日テレビ朝日「徹子の部屋」に出演され、南極・北極旅行や健康法、食事や結婚に対する思いなど語っておられました。(3)「漠然と、結婚しないんじゃあ、ないかなーって・・・」

3)黒柳徹子
「もののついでにお伺いするのも何なんですが、ご結婚なんていうのは考えていらっしゃることは?」 

酒井和歌子
「あたしはね、そうですね、27・8の時に、理由は無いんですけど、漠然と、結婚しないんじゃあ、ないかなーって・・・」 
黒柳徹子
「えー、ご自分で・・・」 
酒井和歌子
「はい・・・で、33くらいの時に、えーこのままだと、私は、何か、何もないな、と思いつつ、じゃあ、やっぱり、何か、こう、色んなところに、旅って言うか、したらいいかなって思って、その頃から、何か、外国、兎に角、海の向こうなら何処でもいいって(笑)・・・」 
黒柳徹子
「そう、その間に、あ、ちょっといいかなっていう方にはお会いにならなかった?」
(続く)

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2009年5月28日 (木)

女優・酒井和歌子(さかいわかこ)さん(60)が、5月26日テレビ朝日「徹子の部屋」に出演され、南極・北極旅行や健康法、食事や結婚に対する思いなど語っておられました。(2)「食事は夜はご飯100グラムぐらいで」

2)黒柳徹子「召し上がり物も気をつけていらっしゃる?」
酒井和歌子「特別、あれっていう訳じゃあないですけど、夜は、少ないですね。炭水化物・・・夜はご飯は大体、100グラムですね。だから、おかずをこう食べて・・・」

黒柳徹子「100グラムっていうと、1膳の・・・」
酒井和歌子「1膳ないですね。」
黒柳徹子「1膳の半分ぐらい・・・それぐらい」
酒井和歌子「はい。」
 
黒柳徹子「そうですか、それくらい気をつけていらっしゃる。
そうじゃあないと、皆さま、このようなきちっとしたとした体型、
これはお洋服は森英恵さんですか?」 
酒井和歌子「ええ」(と下を向いてはにかむ酒井和歌子さん
(続く)

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2009年5月27日 (水)

ボクシングの内藤大助(34)、5度目のフライ級世界チャンピオン防衛戦の後、「こんなに来てくれたのに何か、しょっぱい試合して済ませんでした。・・・これが僕の実力で、まだまだ、だと自分自身分かりました。」

(次の防衛戦のことを聞かれて)「先ず、今日、1試合だけの為に、大金を払ってこんなに来てくれたお客さんに感謝を述べたいと思います。
どうも有り難うございます。(深々と頭を下げる)
これは本当に心の底から言わせて下さい。次、試合がある時は、正直、終わったばかしでボクシングのボの字も考えたくないんで考えてないですけど、次、もしある時は、期待通りの試合を見せたいと思います、又、一生懸命トレーニングして頑張りたいと思います。応援有難う御座いました。」

「(6Rにダウンして)いやーびっくりしたねー倒れてたもんな気づいたら。
次わね、ちゃんとKO出来るような面白い試合を見せたいと思います。
お客さん、すみません。」

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2009年5月26日 (火)

女優・酒井和歌子(さかいわかこ)さん(60)が、5月26日テレビ朝日「徹子の部屋」に出演され、普段の健康法・南極・北極旅行や結婚に対する思いなど語っておられました。(1)

Photo

(画像は「徹子の部屋」出演の時のものではありません)

1)15歳で女優デビューをし、この4月に還暦を迎えた女優の酒井和歌子さん。
酒井和歌子
「自分で(年の)意識が無いんですよ。
でもね、この間体脂肪の検査をしたら46でした。」

黒柳徹子「凄い」
酒井和歌子
「よかったーだからこれからも頑張って・・・」
黒柳徹子
「普段、相当(スポーツを)なさるんですって」

酒井和歌子「はい、普段はそういうところ(スポーツクラブ)に行かない時は歩いて、そういうところ(スポーツクラブ)に行った時は20分、器械で歩いて、20分ストレッチをして、1時間プールに入って1キロ泳いで、サウナに入って、大体、3時間コースです。やっぱり、40過ぎから健康に気をつけるようになりましたね。」
(続く)

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2009年5月25日 (月)

放浪記について:昭和36年の芸術座公演で肺炎になり代役を立てられそうになった時のことを森光子さんが振り返り「でも、一寸、偉(えら)そうなことを言わせて貰えれば、やってみやんさい!(笑)って言いたくなりますね。ていうのはやっぱり、菊田先生の演出、三木のり平先生の演出、以外に、自分の考えた事がいっぱい詰まっています。それは・・・(間を置いて)・・・出来るかしらって、ちょっと、傲慢(ごうまん)ですけど・・・そう思いますね。」(その2)

昭和36年の芸術座の東京凱旋公演の時、森さんは肺炎にかかり緊急入院するが、森さんの放浪記に賭ける思いが医師に伝わり、「この人は芝居を続けた方がいい」、と言わしめる。
そして、森さんは病院から劇場に通い続ける。
その時のことを振り返り、森光子さんは語る。

「代役という単語を聞いた時はぞっとしました。
えー、私の役を代役!で、その代役の候補者の名前まで聞えたんです。
これはどうしょうかと思いましたね。
そうしたら主治医の先生が “この人は、もしそういうことになったら、もっと悪くなりますよ。病状が” って仰(おっしゃ)って下さったんで助かりましたけど・・・役者の業(ごう)ですね・・・初めての主役でしょう。それですもの。
それは誰にも渡したくありませんもの。
候補の人の名前なんかが聞えてきたら、又、心が穏(おだ)やかじゃあないでしょうね・・・死んでも放(はな)さない!なんて言うかもしれません。」
そして冒頭の「一寸、偉(えら)そうなことを言わせて貰えれば、やってみやんさい!」に続くのである。

そしてこの放送から4年後の今年5月9日、東京・丸の内の帝国劇場で行われた昼公演で通算2千回を迎えた。
この日は森さんの89歳の誕生日でもあった。
初演は昭和36年。41歳の時である。
ちなみに、森光子さんの記録に次ぐのは。90年に記録した山本安英さん(故人)の「夕鶴」(1037回)である。

(森光子さん「放浪記」の項終わり

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2009年5月24日 (日)

昭和36年の芸術座の「放浪記」公演で肺炎になり代役を立てられそうになった時のことを森光子さんが振り返り「でも、一寸、偉(えら)そうなことを言わせて貰えれば、やってみやんさい!(笑)って言いたくなりますね。ていうのはやっぱり、菊田先生の演出、三木のり平先生の演出、以外に、自分の考えた事がいっぱい詰まっています。それは・・・(間を置いて)出来るかしらって、ちょっと、傲慢(ごうまん)ですけど・・・そう思いますね。」(その1)

本年5月9日のNHK総合テレビジョンNHKアーカイブスでこのほど2000回公演を達成した森光子さんの放浪記を記念した番組(平成17年)が再放送されました。
その中で森光子さんが語った言葉です。

昭和36年の芸術座の凱旋公演の時、病魔が森さんを襲う。
肺炎による緊急入院である。
(続く)

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2009年5月23日 (土)

シャンパンの製法を取り入れて開発された、日本酒の発泡酒!5月19日のNHK総合テレビジョン「いっと6けん」で、群馬県川場村の日本酒の蔵元・永井酒造の永井彰一さんが開発・製造したシャンパンのような飲み物、日本酒の発泡酒が紹介されました。(その4)

8)永井彰一さんがシャンパーニュ地方から学んだのは澱(おり)引きの方法だけではありませんでした。
シャンパーニュ地方では酒造メーカーと葡萄(ぶどう)農家が契約栽培をして葡萄の品質を維持し、共にシャンパンの価値を高めることで地域の活性化を実現しています。

9)永井彰一さんは之に習って、群馬県川場村の農家と連携して農薬を減らした酒米の契約栽培を行ない、より高い品質のお酒を造って村の活性化を目指そうとしています。
この事業は国からの認定を受けました。
農家の方が語ります。
「契約で米を買ってもらえれば安定した売り上げが出来る訳で、農家としてそこに力を入れてやっていければ一つの励みになる・・・」。
永井彰一さん
「川場村の農家の皆さんと私どもがお互いに利益やコンセプトも共有できる、そういうことをやっていきたいし、そこから世界に発信できたら凄く楽しいかなと・・・やっぱり、シャンパーニュ地方を越えたいと思っていますよ・・・」

(手間のかかる瓶内の発酵に加えて澱(おり)を取り除いて透明にした発泡性の日本酒はこれまでなかった、ということです)
(発泡性日本酒の項終わり)

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2009年5月22日 (金)

シャンパンの製法を取り入れて開発された、日本酒の発泡酒!5月19日のNHK総合テレビジョン「いっと6けん」で、群馬県川場村の日本酒の蔵元・永井酒造の永井彰一さんが開発・製造したシャンパンのような飲み物、日本酒の発泡酒が紹介されました。(その3)

5)シャンパンのようにスパークリングする日本酒ができないだろうか。消費者に与えるインパクトは大きいはずだ」と思いつき、再チャレンジに打って出た。

6)シャンパンのような透明なお酒を造るには澱(おり)引きといわれる酵母のかすを取り除く作業が必要だが、その方法が見つからなかった。
永井さんはフランスのシャンパーニュ地方に直接教えを乞いに行きました。昨年の事です。
永井彰一さん「快く先方は色んな作業を見せてくれました。特にネックになっていた澱(おり)引きの作業の重要な鍵を見つけることが出来ました。」

7)永井さんはシャンパーニュ地方で学んだ技術を応用して泡の出る日本酒の造り方を確立し、特許をとりました。
ジャン・ミッシェル氏に出会って10年、実際に開発を始めてから5年、シャンパン並みの13度と飲み易く、力強い泡と共に日本酒独特の米の風味が広がる永井さんの思い描いたお酒がようやく完成しました。
(続く)

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2009年5月20日 (水)

シャンパンの製法を取り入れて開発された、日本酒の発泡酒!5月19日のNHK総合テレビジョン「いっと6けん」で、群馬県川場村の日本酒の蔵元・永井酒造の永井彰一さんが開発・製造したシャンパンのような飲み物、日本酒の発泡酒が紹介されました。(その2)

3)最初、永井彰一さんは吟醸酒と古酒をアレンジし、アルコール度数を抑えた商品を開発した。
ところが、全く売れなかった。

4)そこで、日本酒の造り方を守りながら、シャンパンのように透明感と華やかさをもったお酒を造ることを目指します。
しかし試行錯誤が続きました。
ポイントの一つがシャンパンのようにきめ細かい泡が出るように瓶内で2次発酵させる温度や時間を見極める事でした。
永井彰一さん
「瓶内の発行の期間がどういう過程になるのか、全く私どもの予測もなく文献もなかった。その辺に3年から4年かかりました。」
(続く)

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2009年5月19日 (火)

シャンパンの製法を取り入れて開発された、日本酒の発泡酒!5月19日のNHK総合テレビジョン「いっと6けん」で、群馬県川場村の日本酒の蔵元・永井酒造の永井彰一さんが開発・製造したシャンパンのような飲み物、日本酒の発泡酒が紹介されました。(その1)

Photo

1)永井彰一さんは語っています。
「自分達の手で、誰もやっていないこと、日本初・世界初の商品を何とか作ってみたいと思った一念だけです。」

2)永井彰一さんの蔵では120年以上に渡り、群馬県川場村の豊かな自然を活かしてお酒を作ってきました。
若者を中心に日本酒離れが進む中、永井彰一さんに転機が訪れます。
11年前、世界的に有名なフランス人のワインの作り手ジャン・ミッシェル氏に出会ったことで永井彰一さんは、ワインのように世界中で飲まれる日本酒を作るという目標を持ったのです。
(続く)

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がん治療の未来―がん細胞を選んで破壊する放射線治療「ホウ素中性子捕捉療法」(京都大学原子炉実験所)(その2)

「通常の放射線治療は正常細胞とがん細胞を区別して破壊出来ないので、「ホウ素中性子捕捉療法」が最も理にかなっている。」(京都大学原子炉実験所・小野公一教授)
「ホウ素中性子捕捉療法」は脳腫瘍(のうしゅよう)・皮膚がん等、300例以上の治療実績があります。

原子炉に専門医師が常駐して10年以上の中性子の研究実績があるのは世界でも京都大学だけで、将来的には原子炉が無くても大学などで「ホウ素中性子捕捉療法」が受けられるようになるといわれています。
(「ホウ素中性子捕捉療法」終わり)

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2009年5月17日 (日)

がん治療の未来―がん細胞を選んで破壊する放射線治療「ホウ素中性子捕捉療法」(京都大学原子炉実験所)とは(その1)

4月21日テレビ東京の「WBS(ワールドビジネスサテライト)」で癌(がん)治療の新しい研究・治療が紹介されました。

ガンの新しい治療「ホウ素中性子捕捉療法」
1)“熱中性子線”という放射線を使う。

2)増殖の速いがん細胞に多く取り込まれるように作られている“ホウ素化合物”を照射前に患者に投与する。

3)そこへ“熱中性子線”を照射すると、がん細胞に集まったホウ素に反応し、核分裂が起きる。

4)その時の衝撃でがん細胞だけが死滅する。
「これにより、点在する小さなガンも死滅させる事が出来、再発する可能性が低くなる。」(京都大学原子炉実験所・小野公一教授)
(続く)

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2009年5月15日 (金)

手紙―老いた親から子どもたちへー5月11日(月)のNHK総合テレビジョン「生活ホットモーニング」で、昨年秋発表され話題になっている、“年老いた親から子供への手紙”の歌が紹介されました。

原詩はポルトガル語ですが、作詞者不明でスペイン語から角智識氏が訳し、補足詞と作曲はシンガソングライターの樋口了一です。

手紙―親愛なる子供達へ

年老いた私が ある日 
今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私の事を
理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 
靴紐を結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように
見守って欲しい
貴方と話す時 
同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうか 
さえぎらずにうなずいて欲しい。
あなたにせがまれて繰り返し読んだ
絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも 
私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 
消え去っていくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 
私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを嫌がる時には 
思い出して欲しい
あなたを追いまわし何度も着替えさせたり 
様々な理由をつけて
嫌がる貴方とお風呂に入った 
懐かしい日の事を
悲しい事ではないんだ 
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しいい
いずれ歯も弱り 
飲み込む事さえ出来なくなるかもしれない
足も衰えて立ち上がる事すら
出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと 
私に助けを求めたように
よろめく私に 
どうか貴方の手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを
知るのは辛い事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを
持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで 
私には勇気が湧いてくるのです
貴方の人生の始まりに
私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに
少しだけ付き添って欲しい
貴方が生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
貴方に対する変わらぬ愛をもって
笑顔で答えたい
私の子供達へ
愛する子供達へ 

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2009年5月14日 (木)

2009年4月13日のテレビ東京「カンブリア宮殿」で、ラーメン業界で1店舗あたりの売り上げでダントツ全国トップ(37店舗で64億4,600万円)を誇る「博多 一風堂」力の源(ちからのもと)カンパニーの河原成美(しげみ)(56歳)氏が出演しました。「店は舞台だ!」と言い切る経営の要諦を紹介します。(7)「まあ、言うとすれば、大変ばい!覚悟はしとるか、言いたいね!」

12)村上龍「これから飲食業をやろうかという人へのアドバイスは?」
河原成美
「まあ、言うとすれば、大変ばい!現実に始まったら、あんたが思いよるようには上手くいかんじゃないと。
ちゃんと考えとるか、覚悟はしとるか、言いたいね!」

著者(私)は、飲食業の経験がありますが、この番組を見ての感想は、村上龍氏も同じような事を言っていましたが、“これだけラーメンに打ち込める人は凄い!”
(「博多 一風堂」河原成美(しげみ)氏の項終わり)

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2009年5月13日 (水)

2009年4月13日のテレビ東京「カンブリア宮殿」で、ラーメン業界で1店舗あたりの売り上げでダントツ全国トップ(37店舗で64億4,600万円)を誇る「博多 一風堂」力の源(ちからのもと)カンパニーの河原成美(しげみ)(56歳)氏が出演しました。「店は舞台だ!」と言い切る経営の要諦を紹介します。(6)「人間には無限の可能性がある。しかし、たった一つしか選べない。」

11)河原成美
「僕には沢山のスタッフがいますから、彼らには、無限の可能性はあるよ。
可能性は人間にはいっぱいある。
だけど、選べるのはひとつだから、そこは、ちゃんと考えろ。ということを話しますね。」

村上龍(番組のメインキャスター)
「人間には無限の可能性がある、という上の句はよく言うんですよ。
だけど、下の句はなかなか言わない。
何か一つ選ぶという事は、他は捨てているんですよ。

その、何かを選ぶ時は他は犠牲になるという事を、本当は大人になる段階で教えなくてはいけないな、と思うんですけど、これ(「人間には無限の可能性がある。しかし、たった一つしか選べない。」)は両方が書いてあるんですよ。」
(続く)

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2009年5月12日 (火)

2009年4月13日のテレビ東京「カンブリア宮殿」で、ラーメン業界で1店舗あたりの売り上げでダントツ全国トップ(37店舗で64億4,600万円)を誇る「博多 一風堂」力の源(ちからのもと)カンパニーの河原成美(しげみ)(56歳)氏が出演しました。「店は舞台だ!」と言い切る経営の要諦を紹介します。(5)「あの人がやってくるー結婚したいと思う彼女のお父さんとお母さんが店に入ってきたら、最高の笑顔で迎えるじゃないですか。」

10)「博多 一風堂」には、社員が読んでいる「一風堂心得貼」という文庫本大の小冊子があります。
そこには50の河原成美のメッセージが掲載されていますが、その一つに「あの人がやってくる」があります。
河原成美
「これは飲食店に大切な事で、「いらっしゃいませ」の声に元気が無い。「有難う御座います」も何か案山子(かかし)に向かっていうような有難う御座いますもある。
じゃあ、お前の彼女のお父さんとお母さんが店に来たら、そげな顔でおるとや?って思う。
結婚したいと思う彼女のお父さんとお母さんが店に入ってきたら、最高の笑顔で迎えるじゃないですか。
だから「お客様は昨日300名いらっしゃいました」。ふざけるな!誰一人お客様っていう人はおらんとばいって。
いるのは個人の名前を持ったそこに存在する人間がいる事を考えたら、そんな熱のない顔をしてお前達はお客を迎えるのかと。
(続く)

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2009年5月10日 (日)

2009年4月13日のテレビ東京「カンブリア宮殿」で、ラーメン業界で1店舗あたりの売り上げでダントツ全国トップ(37店舗で64億4,600万円)を誇る「博多 一風堂」力の源(ちからのもと)カンパニーの河原成美(しげみ)(56歳)氏が出演しました。「店は舞台だ!」と言い切る経営の要諦を紹介します。(4)「ラーメンを作っているなんていう概念だけで、そういう考えだけでラーメンを作っては駄目」

9)河原成美(しげみ)社長は言う。
「ラーメンに感謝を込める、ありがとうを店の中で表現しながら、地域の中に一つの光、温かさを作っていく。
ああ、元気な一風堂があって嬉しいね!いいね!って、で、店の前を通るといつもきれいで生き生き働いている。
そうしたら、その地域にいる人達に、少しかもしれないけれど、光、温かさみたいなものを伝える事が出来るじゃあないですか。
だから俺達は、ラーメンを作っているなんていう概念だけで、そういう考えだけでラーメンを作っては駄目って。
だから作る俺達の、作る人の人間的な成長が必要になってくるんですよね。」
(続く)

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2009年5月 9日 (土)

2009年4月13日のテレビ東京「カンブリア宮殿」で、ラーメン業界で1店舗あたりの売り上げでダントツ全国トップ(37店舗で64億4,600万円)を誇る「博多 一風堂」力の源(ちからのもと)カンパニーの河原成美(しげみ)(56歳)氏が出演しました。「店は舞台だ!」と言い切る経営の要諦を紹介します。(3)「何か、いつも、何処が入り口で、何処が出口なのか分からない10代後半、20代前半だったね。」

7)河原成美氏が自身の若い時について語っています。「何か、いつも、何処が入り口で何処が出口なのか分からない10代後半、20代前半だったね。
それこそ芸大だ、武蔵美、多摩美に行こうと思ってて、実技は通るけど、学科で落ちた。漫画みたいな絵は描いたけど上手くいかない。
何か学芸会みたいな お芝居はしたけど上手くいかない。
(役者になろうと思って)俳優の養成所とかに行った事はあるんですけど・・・」

8)五反田店の店主・高木星剛氏が社内の研修会で言う。
「俺達が作っているのはラーメンとかではなくて、“ありがとうとか”、“感謝”とか、“笑顔”とか“温かい気持ち”を作っている。
ラーメンを作って“ああ、おいしかったな又来たいな”という思いを作っている。俺達が作っているのは、物とか、商品じゃあない。」
(続く)

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2009年5月 8日 (金)

2009年4月13日のテレビ東京「カンブリア宮殿」で、ラーメン業界で1店舗あたりの売り上げでダントツ全国トップ(37店舗で64億4,600万円)を誇る「博多 一風堂」力の源(ちからのもと)カンパニーの河原成美(しげみ)(56歳)氏が出演しました。「店は舞台だ!」と言い切る経営の要諦を紹介します。(2)「お客さんはラーメンを食べに来ているのではない。「一風堂」のトータルの空間を楽しみに来ているんだ。」

4)店員の服装はオリジナルのユニフォーム。店員の4割が女性(女性客が気軽に入れる為のキャスティング)。カバンや持ち物を入れる籠(かご)が座席に用意されている。
そして勿論、店員の気配りと元気の良い掛け声に店全体の活気。

5)店長の研修会で河原成美(しげみ)氏が語る。「店は舞台なんです。「博多 一風堂」のラーメンを食べに来ているんじゃあない。お客さん達はこの「一風堂」のトータルの空間を楽しみに来ているんだ。気が、活気が溢れる空間で「一風堂」の赤丸、白丸(注:商品名)が食いたいんだ。只、ラーメンを食べさせればいいものではない!」

6)「一風堂」の名前は、かってない店でラーメン業界に一陣の風を吹かせたいという思いを込めた。
(続く)

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2009年5月 7日 (木)

2009年4月13日のテレビ東京「カンブリア宮殿」で、ラーメン業界で1店舗あたりの売り上げでダントツ全国トップ(37店舗で64億4,600万円)を誇る「博多 一風堂」力の源(ちからのもと)カンパニーの河原成美(しげみ)(56歳)氏が出演しました。「店は舞台だ!」と言い切る経営の要諦を紹介します。(1)

1)「女性が気軽に入れるラーメン屋を作りたい」という思いから作った店は、カウンターの上のどんぶりは見映え良く、紅白の色が交互に並び、流れる音楽はモダンジャズ。
2)麺の固さは「ハリガネ」「バリカタ」「カタ麺」「フツウ麺」ヤワ麺」の5段階を客が選べる。
3)こくがあるのに上品でクル-ミーなとんこつスープは、3つの自社工場で作られて店舗に配送される。
材料は豚頭=上品なうま味、膝関節のげんこつとロース骨=濃厚なコク、の2種類を別々の釜で煮る。うま味を引き出す時間が違うからだと言う。
最後に2つのスープをブレンドして「博多 一風堂」のスープが完成する。
(続く)

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2009年5月 6日 (水)

“CBSドキュメント” 1月15日USエアウエイズのエアバスA320型機“1549便”の“ハドソン川の奇跡”(5)「今回の経験を通して一番難しかったのは、自分を責めないようにする事です。他にも何か出来た筈では・・・一体どうすれば良かったのか、私には分かりません。」

今年1月15日午後3時半、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立ったUSエアウエイズのエアバスA320型機1549便が鳥の群れを両エンジンに吸い込みエンジンが停止し、機長のとっさの判断と操縦技術でハドソン川に不時着水し、乗客乗員全員155人が救われた事件は“ハドソン川の奇跡”と呼ばれています。
サレンバーガー機長と4人のクルーにインタビューした模様を4月16日のTBSの“CBSドキュメント”が伝えています。

13)番組のナレイションは語る。
「多くの乗客と同じように、サレンバーガー機長を始め乗員達も心に傷を負っていたのです。」
サレンバーガー機長
「今回の経験を通して一番難しかったのは、自分を責めないようにする事です。
他にも何か出来た筈では・・・もっと良い方法があったのではないか・・・一体どうすれば良かったのか、私には分かりません。」 

インタービューアー
「ハッピーな結末だったのに?」 
サレンバーガー機長
「ええ、確かに・・・」
インタービューアー「もっと、悲惨な結果もありえた筈・・・」 

サレンバーガー機長「ええ・・・」 
インタービューアー「それでも思い悩む?」 
サレンバーガー機長
「最初の数日間は最悪でした。あの時、こうしていたら、と思い始めると眠れなくなるんです。」

インタービューアー「例えば?」 
サレンバーガー機長
「繰り返し思い浮かぶんです。所謂(いわゆる)、フラッシュバックです。事故は予測できた筈ではないのか・・・
自分の取った選択は最良のものだったのか・・・そういった事です。」 

インタービューアー「では、後悔しているというような事は?」 
サレンバーガー機長「今は・・ありません。」

14)インタービューアー
「多くの人から、ヒーローと呼ばれていますね、之に対してはどう思われますか?」 

サレンバーガー機長
「心地よく受け入れる事は出来ません。でも否定もしません。
私への感謝の気持ちをないがしろにしたくはないのです。皆さんが何故、そう思われるのか段々、理解し始めていますし・・・」 

インタービューアー「何故なんでしょう?」 

サレンバーガー機長「何かが人々の想像力をかき立てたのだと思います。皆、良いニュースが聞きたい、希望を胸に生きていたいのです。私がその役に立てるなら、光栄です。」

15)事故後、フライトを休んでいたサレンバーガー機長は、7月に現場に復帰するとのことです。

Photo
(ハドソン川の奇跡、の項終わり)

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2009年5月 3日 (日)

“CBSドキュメント” 1月15日USエアウエイズのエアバスA320型機“1549便”の“ハドソン川の奇跡”(4)「救助に来てくれた人達や全ての人に、有難うという言葉では言い尽くせません。彼らには、決して返しきれない恩を受けました。」

今年1月15日午後3時半、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立ったUSエアウエイズのエアバスA320型機1549便が鳥の群れを両エンジンに吸い込みエンジンが停止し、機長のとっさの判断と操縦技術でハドソン川に不時着水し、乗客乗員全員155人が救われた事件は“ハドソン川の奇跡”と呼ばれています。
サレンバーガー機長と4人のクルーにインタビューした模様を4月16日のTBSの“CBSドキュメント”が伝えています。

10)乗務員達は全ての乗客を素早く避難させ、サレンバーガー機長は2度にわたって客室を隈なく歩き、全員が脱出出来たかどうか確認、沈み行く機体に目をやり、航空日誌をつかむと、乗客を満載した救命ボートに最後に飛び乗ったのです。

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インタービューアー「彼らと話を?」
サレンバーガー機長
「或る男性が話しかけてきました。命を救ってくれて有難うと。
(You save my life, thank you)」

インタービューアー「貴方は何とこたえました?」
サレンバーガー機長
「どういたしまして(You're welcome)」

インタービューアー「それだけ?」
サレンバーガー機長
「ええ・・・それから救助に来てくれた人達に、ボートは比較的安全だから、翼の上にいる乗客から助けて欲しいと伝えました。」

11)サレンバーガー機長「救助に来てくれた人達や全ての人に、有難うという言葉では言い尽くせません。
彼らには、決して返しきれない恩を受けました。」

インタービューアー
「パイロット組合の或る人は貴方の事をあの飛行機を降りてからもまだ、プロとして振舞っていたと言っていましたが・・・」

サレンバーガー機長
「そんな風に見えただけです。
私はショック状態でした。」

インタービューアー
「本当に?」

サレンバーガー機長
「飛行機を台無しにしたんですから・・・」

12) サレンバーガー機長は、乗客乗員全てが助かったと信じていたものの、尚、それを確かめたかった、と言います。
サレンバーガー機長
「何時間も催促し続けて遂に155人全員救出という公式の発表を聞きました。」

インタービューアー
「その知らせを聞いて何と?」
サレンバーガー機長
「何を言ったか覚えていません。
張り詰めていた緊張の糸がほどけたのは覚えています。
人生であれほどの開放感を味わったのは初めてでした。」
(続く)

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2009年5月 2日 (土)

“CBSドキュメント” 1月15日USエアウエイズのエアバスA320型機“1549便”の“ハドソン川の奇跡”(3)「最初、河に着水した事は知りませんでした。」

今年1月15日午後3時半、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立ったUSエアウエイズのエアバスA320型機1549便が鳥の群れを両エンジンに吸い込みエンジンが停止し、機長のとっさの判断と操縦技術でハドソン川に不時着水し、乗客乗員全員155人が救われた事件は“ハドソン川の奇跡”と呼ばれています。サレンバーガー機長と4人のクルーにインタビューした模様を4月16日のTBSの“CBSドキュメント”が伝えています。

6)インタビューアー
「例え数秒でも大惨事を回避出来たと実感する時間はあったのでしょうか?」
サレンバーガー機長
「いいえ、未だ回避出来た訳ではありませんでしたから。私にはやるべき事がありました。」

7)不時着水の瞬間を客室の前方にいた乗務員が回想する。
「確かに衝撃は強かったけど、車輪は正常に作動したと思っていたんです。
激しい揺れは無かったし、荒っぽい着陸だったなという程度でした。」

インタビューアー「河に着水した事は?」
客室乗務員
「いいえ、窓の外を見るまでは知りませんでした。
水面が見えた時ですら、滑走路の傍に河か何かがあるんだろうと思っていたんです。」
「座席を立ち、水面を見た時は言葉に出来ないほどの衝撃を受けました。
全く予期していませんでしたから。」

8)客室乗務員「私の近くの非常口は直ぐに開けることが出来ました。未だ、水位がドアより下でしたから。
開けると直ぐ、脱出用のシュートが自動的に降りてきて膨らみました。
シュートが作動する音を聞いて胸を撫で下ろしました。
同僚の客室乗務員は別の非常口を担当していましたが、乗客が非常口に殺到して揉(も)み合いになると言う事もありませんでした。」

9)客室の後方の様子は少し違いました。
客室乗務員
「1人の乗客が私を押しのけ、非常口を開けたんです。
その途端、水が流れ込んできました。
私は2度、ドアを閉めようとしましたが駄目でした。
水位がぐんぐん上がり、ゴミ箱やコーヒーポットがあたりを漂っていました。
水が首の辺りに来たときは、もうこれで一巻の終わりだと思いました。
私は取り乱してしまい、叫びながらこちらに向かってくる乗客を座席の方に押し戻そうとしていました。
でも、そうしている内に、ああ、自分はまだ生きているんだわと思ったんです。」
(続く)

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2009年5月 1日 (金)

“CBSドキュメント” 1月15日USエアウエイズのエアバスA320型機“1549便”の“ハドソン川の奇跡”(2)「私の之までの人生はあの瞬間を乗り切る準備の為にあったのではないか、そんな気がします。」

今年1月15日午後3時半、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立ったUSエアウエイズのエアバスA320型機1549便が鳥の群れを両エンジンに吸い込みエンジンが停止し、機長のとっさの判断と操縦技術でハドソン川に不時着水し、乗客乗員全員155人が救われた事件は“ハドソン川の奇跡”と呼ばれています。

サレンバーガー機長と4人のクルーにインタビューした模様を4月16日のTBSの“CBSドキュメント”が伝えています。

3)着水の90秒前、サレンバーガー機長は乗客・乗員に簡潔な言葉でアナウンスを行なった。「衝撃に備えて下さい」と。

アナウンスの直ぐ後、乗員が乗客に向かって声を張り上げて指示を始めました。
サレンバーガー機長
「彼女達の声は堅く閉まったコックピットのドア越しからもハッキリと聞えました。頭を下げて下さい!膝を抱(かか)えて!いっせいに声を揃えて何度も何度も乗客に呼びかけていたのです。
これにはとても元気づけられました。
そして我々が同じ考えを持っていることが分かったのです。
旨く着水出来たら乗客を安全に避難させられると。」

4)番組のナレーションが流れる。「あの事態にこれほどふさわしい人物(パイロット)もいなかったでしょう。
彼(サレンバーガー機長)は元空軍戦闘機のパイロットで30年近く民間航空会社で働き、事故調査のスペシャリストで、非常時の対応を乗員に指導する立場にあったのです。」

サレンバーガー機長
「私の之までの人生はあの瞬間を乗り切る準備の為にあったのではないか、そんな気がします。」

5)サレンバーガー機長
「着水は難しいものです。水の上を突進するような感じでした。
速度が落ちるにつれ、機種もようやく下がり、やや左に廻ってから停止したんです。」
着水した時、副操縦士と互いに視線を交わし、
「思ったほど、ひどくはなかったな」とサレンバーガー機長は副操縦士に言った。

「そして次の行動に移りました。
私が避難命令を出している間、彼(副操縦士)はチェックリストを確認しました。」

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(続く)

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