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2009年6月

2009年6月30日 (火)

驚異の「メガネの21(つーわん)」―「販売ノルマなし」「内部留保なし」「社員ボーナス500万円」「銀行借り入れなし」「社長はお飾り」「管理職なし」「社員の給与、査定は社内ネットで全社員に公開」、会社の常識を覆(くつがえ)す、これらを実施して業績を伸ばしている広島のメガネの販売チェーン「メガネの21(つーわん)」がテレビ東京のカンブリア宮殿・6月22日(及び6月29日予定)で紹介されました。(その7)リストラ経験が「21(つーわん)」を民主的な会社にした。

16)2000年前に書かれた「論語」にある言葉、「恕(じょ)」とは、人からされたくない事は自分も人にはしない事。=他人を思いやる心―「これを気持ちの柱としてシステムを構築していこうと思った」、と専務の平本清氏は語る。

17)前の会社をリストラされて新しい会社を作る時、いきなり今のやりかたを考えついた訳ではない、と平本清氏は語る。
「一個一個社員の不満、嫌な事、そして出資者が嫌がる事を聞いて、両方がウイン・ウインになる形を構築していこうと、ゆうので一個一個、作ってきた事ですね。
労働者と出資者、両方が喜ぶ提案をするのが経営者だと私は思っている。」

18)社長も、置かなければならないので、交代で社員が名前だけ務めている、という。
実際は、現在の社長も、皆と同じように店で働いており、所謂、社長業はやっていない。
「21(つーわん)」を取り仕切っているのはたった6人の女性達である。
そして管理職は置かず、本部の女性達と各店舗の社員は全く平等な組織である。
(続く)

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2009年6月28日 (日)

驚異の「メガネの21(つーわん)」―「販売ノルマなし」「内部留保なし」「社員ボーナス500万円」「銀行借り入れなし」「社長はお飾り」「管理職なし」「社員の給与、査定は社内ネットで全社員に公開」、会社の常識を覆(くつがえ)す、これらを実施して業績を伸ばしている広島のメガネの販売チェーン「メガネの21(つーわん)」がテレビ東京のカンブリア宮殿・6月22日(及び6月29日予定)で紹介されました。(その6)

13)専務の平本清氏はこれを、「会社には内部留保をしていないが、社員に内部留保をしている」と説明している。
更に、「業績が悪くて給料を下げても(普段、高給を出しているから、社員が自分で内部留保をしているから)生活が出来る」と平本清氏は言う。

14)平本清氏は更に言う。
「事業はチームでやっていかないといけないでしょう。
労働者と出資者が完全に分かれてしまうとどうしても対峙(たいじ)してしまう。
片方はとにかく安い給料で働け、サービス残業は関係ないよ、と。
だけど、相手の気持ちを推し量るって言うのは大切ですから、相手の立場になればいい、と。
じゃあ、僅かでも良いから出資をして出資者の気持ちも分かって下さい、と。」

15)平本清氏がこのような会社を作るきっかけは前の会社(当時、広島で60%のシェアを握っていたトップ企業)をリストラされた苦い経験がある。(⇒本話その1参照)そして革命的な組織を作り上げる過程で平本清氏が拠り所にしたのが「論語」である。
(続く)

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2009年6月27日 (土)

驚異の「メガネの21(つーわん)」―「販売ノルマなし」「内部留保なし」「社員ボーナス500万円」「銀行借り入れなし」「社長はお飾り」「管理職なし」「社員の給与、査定は社内ネットで全社員に公開」、会社の常識を覆(くつがえ)す、これらを実施して業績を伸ばしている広島のメガネの販売チェーン「メガネの21(つーわん)」がテレビ東京のカンブリア宮殿・6月22日(及び6月29日予定)で紹介されました。(その5)

11)「メガネの21(つーわん)」は、儲けを内部留保せずに社員へのボーナスと製品の値下げにあてている。
では事業で資金が必要になる時はどうするのか? 
その疑問に答えるのが「社員出資制度」である。
即ち、社員は無担保で年8%の利息で出資をする。
この制度、殆どの社員が参加している。
現在、「21」(つーわん)の社員の出資額は9億7,910万円である。この出資制度が「21」(つーわん)を発展させる一因にもなっている。

12)例えば、昨年、福岡県久留米市に開業した「21」(つーわん)のチェーン店の場合、オーナー夫妻は広島の店で10年間修業し、2,000万円のお金を貯めた。
そして、不足の1,000万円を全国のグループの出資で賄い、念願の店を地元に持つ事が出来たのである。
(続く)

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2009年6月26日 (金)

驚異の「メガネの21(つーわん)」―「販売ノルマなし」「内部留保なし」「社員ボーナス500万円」「銀行借り入れなし」「社長はお飾り」「管理職なし」「社員の給与、査定は社内ネットで全社員に公開」、会社の常識を覆(くつがえ)す、これらを実施して業績を伸ばしている広島のメガネの販売チェーン「メガネの21(つーわん)」がテレビ東京のカンブリア宮殿・6月22日(及び6月29日予定)で紹介されました。(その4)

7)1,600万円のプレジャーボートを買って皆で楽しめるようにした事について、平本清(ひらもと・きよし)氏は次のように語っている。
「僕は結構、嫌われ者だから、人気を気にするんです。
性格が良かったら好かれるが、悪い分だけ、猜疑心も強いですし、いろんなことを考えるタイプなんですよ。
そうすると、あちらで2人が話をしていたら“平本はろくでもない奴だ”とか言われているような気がするんですよね。
この際、恩を売っとこうという感じですよね。」

8)「メガネの21(つーわん)」の売り上げと経常利益は次のようになっている。

2004年 売上げ 85億円 経常利益 5万円
2005年 売上げ 84億円 経常利益 -3,400万円
2006年 売上げ 84億円 経常利益 -400万円
2007年 売上げ 83億円 経常利益 900万円
2008年 売上げ 83億円 経常利益 450万円

この数字を驚くのは売上げに対して経常利益が極端に少ない事である。
これこそ、利益の大部分を社員のボーナスと商品の値下げに使っている証拠である。

9)この余りにも少ない利益の数字に税務当局の抜き打ちの査察が入った事もあった、と平本清氏は言う。

10)しかし、では内部留保がない「メガネの21(つーわん)」は、事業にお金が必要な時はどうするのか?
(続く)

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2009年6月25日 (木)

驚異の「メガネの21(つーわん)」―「販売ノルマなし」「内部留保なし」「社員ボーナス500万円」「銀行借り入れなし」「社長はお飾り」「管理職なし」「社員の給与、査定は社内ネットで全社員に公開」、会社の常識を覆(くつがえ)す、これらを実施して業績を伸ばしている広島のメガネの販売チェーン「メガネの21(つーわん)」がテレビ東京のカンブリア宮殿・6月22日(及び6月29日予定)で紹介されました。(その3)

4)「メガネの21(つーわん)」には多くの働く人が集まる。
社員の半数以上が他の企業からの転職組みだという。
人を引きつける理由が
ⅰ)営業にノルマが無い。店に販売予測はあるが、あくまでも予測でノルマではない。
ⅱ)そして人材を引きつける極めつけの理由が高収入。
業績にもよるが、20代の若手で1回の賞与が150万円前後。
30代の社員は、「一番よかった時が450万円になったことがある」と語っている。

5)何故、このような高い給料が可能なのか?
その理由を「メガネの21(つーわん)」では、企業では当たり前に行なっている内部留保を行なっていないからだという。
企業は利益から配当などを行なった残りを、業績が悪化した時の備えや次の成長への投資の為に内部留保として利益を貯めておく。
ところが「メガネの21(つーわん)」では、その内部留保をすべて社員のボーナスと商品の値下げに充てているのである。

6)番組に出演した創業者で専務(社長ではないが、その理由は後ほど)の平本清(ひらもと・きよし)氏は、高いボーナス支給について次のように語る。

「賞与ばかり見て、それも利益の分配を見ているからで、(実際は)利益の分配と言うのはプラスだけでなく、マイナス(の分配)もある。
マイナスになった時はマイナスの分配があることを良く知っていただきたい。」
(赤字の時は賞与が無い時もある、という意味。)
「このシステムを決めたのは、当初、会社を作って倒産しそうだ、やばいという時に赤字を皆さんに分配したい、と。資金がもう無い状態だったから、だからマイナス分配とプラス分配、両方見ないと変な話になりますよね。」
(続く)

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2009年6月24日 (水)

驚異の「メガネの21(つーわん)」―「販売ノルマなし」「内部留保なし」「社員ボーナス500万円」「銀行借り入れなし」「社長はお飾り」「管理職なし」「社員の給与、査定は社内ネットで全社員に公開」、会社の常識を覆(くつがえ)す、これらを実施して業績を伸ばしている広島のメガネの販売チェーン「メガネの21(つーわん)」がテレビ東京のカンブリア宮殿・6月22日(及び6月29日予定)で紹介されました。(その2)

2)「メガネの21(つーわん)」の広告のチラシは、「21は原価率70%、他社は原価率28-34%」とうたっています。

3)「メガネの21(つーわん)」の店舗の外観を見ると前面に大きく「会社に利益を残さず値下げで還元」と書いてあるのが目に付きます。
全ブランドが常時4割引なのです。
更に、メガネの修理は無料です。
他の店では買い替えを薦められるメガネを「メガネの21(つーわん)」では修理をしてくれます。
このようなサービスと価格の安さで店はいつもお客で賑わっています。

(続く)

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2009年6月23日 (火)

驚異の「メガネの21」ー「販売ノルマなし」「内部留保なし」「社員ボーナス500万円」「銀行借り入れなし」「社長はお飾り」「管理職なし」「社員の給与、査定は社内ネットで全社員に公開」、会社の常識を覆(くつがえ)す、これらを実施して業績を伸ばしている広島のメガネの販売チェーン「メガネ21(つーわん)」がテレビ東京のカンブリア宮殿・6月22日(及び6月29日予定)で紹介されました。(その1)

1)創業者で専務の平本清(ひらもと・きよし)氏のプロフィール
1950年 広島県生まれ。
1968年 高校卒業後、広島大手のメガネチェーン店に入社。
   抜群の売り上げ成績を上げ、26歳で本店副店長就任。
1979年には商品部長に就任する。
1986年、社長交代劇に巻き込まれリストラ、解雇される。
   そして同じく会社を解雇された4人で「メガネの21」を設立する。
現在、「メガネの21」は広島を中心に全国120店舗以上、年商85億円のチェーン展開をするまでに成長。
(続く)

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2009年6月22日 (月)

現在、全国の自治体が運営するアンテナショップは東京23区内だけで36店舗あり、10年前の3倍以上に増え、昨年度の売り上げはおよそ70億円になります。6月22日のNHK総合テレビジョン「おはよう日本7:00-7:30」で【人気上昇・都会のアンテナショップ】が放送されましたが、その内の幾つかを紹介します。(その1)コンビニに徳島のアンテナショップ。

1)徳島県がコンビニの中にアンテナショップを開きました。
東京・港区のコンビニでは、天井から“なっ!とくしま”の看板がぶら下がっています。
看板の下には県特産の“すだち”をあしらったマスコット人形があります。
もともとはこの店から300メートルの所に徳島のアンテナショップがあったのですが、もっと、PRしたいと、コンビニに共同事業を持ちかけたのです。

2)コンビニのノウハウを生かして売り方も変えました。
例えば、「ふかしいも」はこれまで箱詰めでセットで売っていたのですが、ひとつひとつ、ばら売り(例:@105円)で売るようにしました。
これにより、お弁当などを買いに来たお客さんが、一寸、甘いものでも、と気軽に手に取れるようにという狙いがあります。

3)商品も民芸品よりも徳島ラーメンや鳴門若布の味噌汁等の食料品に絞りました。

4)徳島県は維持管理費をコンビニに支払って、仕入れやコーナーの棚の管理はコンビニの店員さんが行なっています。
これにより、徳島県は人件費などの経費を大幅に削りながら、一年365日24時間アンテナショップを開けるようになりました。
更に店内に徳島県の観光パンフレットのラックも置くことにより、情報発信の場にもなっています。

5)アンテナショップのコーナーを置いて3ヶ月、コンビニの売り上げが10%増えたとの事です。
(続く)

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2009年6月21日 (日)

曹洞宗(そうとうしゅう)大本山の永平寺78代貫首・宮崎奕保(みやざきえきほ)さんの106歳の天寿を全うするまでの座禅一筋の生涯、大自然を心とした生き方が【6月16日NHK「あの人に会いたい」(22:50-23;00)】で紹介されました。(その5)「平気で生きておる事は難しい。」

11)宮崎奕保(みやざきえきほ)さん
「自然は立派やね。自然の法則を真似て人間が暮らす。時が来たならば、ちゃんと花が咲き、そして黙って、褒められても褒められんでもすべき事をして黙って去っていく。
そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。」

12)宮崎奕保(みやざきえきほ)さん
「平気で生きておる事は難しい。
死ぬ時が来たら、死んだらいいんや。
平気で生きておれる時は、平気で生きておったらいいのや。」

Photo

【宮崎奕保(みやざきえきほ)さんの項終わり】

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2009年6月20日 (土)

曹洞宗(そうとうしゅう)大本山の永平寺78代貫首・宮崎奕保(みやざきえきほ)さんの106歳の天寿を全うするまでの座禅一筋の生涯、大自然を心とした生き方が【6月16日NHK「あの人に会いたい」(22:50-23;00)】で紹介されました。(その4)「平気で生きておる事が悟りやった。」

9)昭和44年、68歳の宮崎奕保(みやざきえきほ)さんは重い肺結核にかかります。3年4ヶ月に及んだ入院生活ですが、それでも座禅はやめませんでした。
宮崎奕保(みやざきえきほ)さん
「主治医やら、看護師さんにようしかられた。『あんた、大病人なのに、そんな座禅なんかし取ったらいけません』。そうすると『はいはい』言うて寝間に入る。看護師や主治医が出て行ったらまた座禅をした」

10)宮崎奕保(みやざきえきほ)さん
「人間はいつ死んでもいいと思うておったのが悟りやと思うておった。
ところがそれは間違いやった。平気で生きておる事が悟りやった。」
(続く)

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2009年6月19日 (金)

曹洞宗(そうとうしゅう)大本山の永平寺78代貫首・宮崎奕保(みやざきえきほ)さんの106歳の天寿を全うするまでの座禅一筋の生涯、大自然を心とした生き方が【6月16日NHK「あの人に会いたい」(22:50-23;00)】で紹介されました。(その3)「“ああせよと口で言うより、こうせよとして見せるこそ教えなり”で、して見せなしようがない。」

7)宮崎奕保(みやざきえきほ)禅師
「“ああせよと口で言うより、こうせよとして見せるこそ教えなり”で、して見せなしようがない。
101歳になっとても私は皆より30分も1時間も早く起きるんや。」

8)作家・立松和平
「(禅をする時)頭の中、心の中で何かこう、考えたり、そういう事はあるんですか?」
宮崎奕保(みやざきえきほ)禅師
「何も考えない。妄想せんことや。いわゆる前後裁断(ざいだん)や。
その時、その時、一息、一息しかないんや。だから、何か考えたら、それは余分や。」
「座禅という事はまっすぐということや。
まっすぐという事は正直という事や。
体をまっすぐにしたら心もまっすぐになっとる。」
(続く)

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2009年6月18日 (木)

曹洞宗大本山の永平寺78代貫首・宮崎奕保(みやざきえきほ)さんの106歳の天寿を全うするまでの座禅一筋の生涯、大自然を心とした生き方が【6月16日NHK「あの人に会いたい」(22:50-23;00)】で紹介されました。(その2)「禅と言ったら、何か殊更にあるように思っておる。そうではなくて、歩いたら歩いた禅、しゃべったらしゃべったで、しゃべることが禅だ。」

5)宮崎奕保(みやざきえきほ)禅師「禅と言ったら、何か殊更にあるように思っておる。
そうではなくて、歩いたら歩いた禅、しゃべったらしゃべったで、しゃべることが禅だ。」

6)作家・立松和平「禅と言うのは生活の全てを禅と考えているのですね。」
宮崎奕保(みやざきえきほ)禅師
「スリッパを脱ぐのも座禅の姿や。
スリッパが歪(ゆが)んでいるという事は自分が歪(ゆが)んでおるんだ。
全て心が表われておるんだから、心がまっすぐであったら全てのものをまっすぐにする必要がある。
当たり前の事をやっておるんや。それよりやることないんだ。」
(続く)

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2009年6月17日 (水)

曹洞宗大本山の永平寺78代貫首・宮崎奕保(みやざきえきほ)さんの106歳の天寿を全うするまでの座禅一筋の生涯、大自然を心とした生き方が【6月16日NHK「あの人に会いたい」(22:50-23;00)】で紹介されました。(その1)「やっぱり日常の生活が手本やな。老僧の口だけでない、実行で示した、それが元や。」

1)洞宗大本山の永平寺(福井県)は道元禅師によって開かれた鎌倉時代から続く禅の道場です。
78代貫首・宮崎亦保さん(みやざきえきほ1901~2008年)さんは、106歳の天寿を全うするまで修行僧の先頭に立って座禅一筋の生涯を貫きました。

2)宮崎亦保さんは15歳の時、父親が亡くなった為、兵庫県の寺に引き取られました。
小塩老師の元で修行に打ち込みますが、座禅ばかりしている老師のことが理解出来ないでいました。

3)転機が訪れたのは29歳の時、老師が82歳で亡くなりました。
宮崎亦保さん
「老僧の温かい死骸を見た時に“偉い人やったな”と思った。
80にもなっとって雲水と同じものを食べて、雲水と同じように1日をわたくしの無い生活をする。
やっぱり日常の生活が手本やな。
老僧の口だけでない、実行で示した、それが元や。

できたら老僧のような坊さんになりたい。
だから人間はまねをせなあかん。
学ぶという事は真似をするということから出ておる。
1日真似をしたら1日の真似や。それで済んでしもうたら。
ところが一生真似しておったら真似がほんまもんや。」

4)宮崎さんは、老師の死で「座禅することそのものが悟り」であることに気づかされます。
その時から宮崎さんは座禅の意味を考える事をやめました。老師に習いただひたすら座る事。「只管打座(しかんたざ)」に目覚めたのです。

・永平寺(福井県吉田郡永平寺町志比)は、寛元2年(1244年)に道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場です。境内は三方を山に囲まれた深山幽谷の地に、大小70余の建物が並んでいます。道元禅師は正治2年(1200年)京都に生まれ、14歳の時に比叡山で出家し、24歳の春に中国へ渡り天童山の如浄禅師(ニョジョウゼンジ)について厳しい修行をされて、お釈迦様から伝わった坐禅という正しい仏の教えを受け継がれて日本に帰られました。初め京都に道場を作りましたが 寛元元年に波多野義重(ハタノヨシシゲ)公の要請もあり、越前の国(福井県)に移られて永平寺を開かれたのです。現在は曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と檀信徒の信仰の源となっています。          ~永平寺の冊子より~ 

(続く)

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2009年6月16日 (火)

27年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんのシンクロコーチの人生とコーチ哲学:NHK総合テレビジョンの「知る楽選」より(その4)「実は、自分では、笑われますけど、適当に世の中に流されながら、周りをきょろきょろ見ながらいろんな選択肢をしてるつもりなんですけどね。」

13)オリンピックメダルを取っての帰国報告会等で、井村さんは気づく。

井村雅代さん「クラブにいた奥野以外の選手達の視線に気が付いたんですよ。 
オリンピックまでは奥野をつきっきりで見ていたけど、これでやっと、井村先生は(他の選手を見に)帰ってきてくれる、そして私達を教えてくれる。
その中に立花美哉もいたんですよ。
その待たれている視線を感じた時に、私、まだ役に立つんだ、と思った。
この子達の為に、私、まだ役に立つんだって。
自分の目標を達したからってここで辞めたらだめなんだって。」

14)井村雅代さん「外から見たら私は強引にがーと行っているみたいだけど、実は、自分では、笑われますけど、適当に世の中に流されながら、周りをきょろきょろ見ながらいろんな選択肢をしてるつもりなんですけどね。」 
「だからその時もやっぱり、ここでこの子達に向かって、コーチとしてメダリストを育てられたから、自分の目標を達したから、私は辞めるねって言えなかったですね。あの子達の顔を見た時に。」
(続く)

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2009年6月15日 (月)

27年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんのシンクロコーチの人生とコーチ哲学:NHK総合テレビジョンの「知る楽選」より(その3)「井村にはプールを貸さないでくれ」という連絡が前のクラブから出回り、井村さんは練習場所を求めて転々とします。

10)「井村シンクロクラブ」を設立した井村雅代さんは、しかし練習場所の確保に悩まされます。
「井村にはプールを貸さないでくれ」という連絡が浜寺水練学校から出回ったのです。
井村雅代さんは遠く京都まで片道2時間半をかけて、練習場所を求めて行ったりします。
日本選手権に行っても誰も声をかけてくれなくなります。
「井村シンクロクラブ」不遇の時代です。

11)それでも井村雅代さんの指導を受けたいという希望者は増え、メダルを狙える選手が育ってきました。奥野史子(ふみこ)選手です。
井村雅代さんは奥野史子(ふみこ)選手を集中的に鍛え上げました。

12)そして迎えた1992年のバルセロナ・オリンピック。
奥野史子(ふみこ)選手は見事、銅メダルを獲得します。
クラブ設立から7年、オリンピックメダリストを育てあげた井村雅代さんはコーチの仕事に一つの区切りをつけ辞(や)めようとします。
(続く)

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2009年6月14日 (日)

27年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんのシンクロコーチの人生とコーチ哲学:NHK総合テレビジョンの「知る楽選」より(その2)「そして次に言われた言葉は、貴方をオリンピックコーチにしてあげたやないの。貴方は浜寺のクラブにいたからオリンピックコーチになれたんだ、て」

5)1984年のロサンゼルスオリンピックでは、井村雅代さんの率いるシンクロナイズドスイミングはデュエットに出場した元吉三和子、木村さえ子のペアが見事、銅メダルに輝きます。シンクロナイズドスイミングでは日本初、そして井村雅代さんにとっても始めてのオリンピックのメダルです。

6)しかし凱旋帰国した井村雅代さんを待っていたのは、経営難に陥っていた所属するクラブからの解雇通告でした。

井村雅代さん「オリンピックでメダルを取って帰ってきて、私を待っていた言葉は、私達のクラブはもともとボランティアで手弁当のクラブだから、貴方には給料を払っていたけど、(もう)払えません、これからは、交通費込みで1日千円でやって下さい。」

7)「そして次に言われた言葉は、貴方をオリンピックコーチにしてあげたやないの。貴方は浜寺のクラブにいたからオリンピックコーチになれたんだ、て」

8)そう言われて、井村雅代さんは、
「もう一回オリンピック選手をつくり、メダリストを作ったら、私が育てたという事が自分で確認できるから、そこまではコーチしよう」

9)浜寺水練学校を去って自ら「井村シンクロクラブ」を作った井村雅代さんに二人の選手がついてきました。
しかし、この事が思わぬ波紋を生みます。
「井村が選手を引き抜いた」
(続く)

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2009年6月13日 (土)

27年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんのシンクロコーチの人生とコーチ哲学:NHK総合テレビジョンの「知る楽選」より(その1)

1)井村雅代さんシンクロコーチになったのは24歳の時、かって所属していた大阪の浜寺水練学校から誘いを受けたのです。28歳の時には日本代表コーチに抜擢されました。

2)その時指導したのが双子の藤原昌子・育子姉妹です。
井村雅代さん「或る日、藤原姉妹がスピンの練習をしていて、曲を止めて、二人が水から上がってきて、注意をしてもらおうと思って(井村さんの)顔を見た時に、“あ、大体合っているわ”と言うと、二人がぱっと顔を見合わせて、“水の中では違うもんね”と言います。
だけど私には何故そうなっているか、何が悪いか見抜けない。
すっごい悔しくて、一生懸命、シンクロの合うとは何か、全部書き出して勉強したんですね。絶対あの子達を完璧に合わしてやろうって。」

3)井村雅代さん「半年、もう一寸かかりましたかね。ほんと、ありとあらゆる事を考え、その時あるビデオとかを見て、合ってるって何だろう、合うって何だろう、何を見た時に合うと思うんだろう、何を見た時に完璧なんだろうって、本当に研究しました。」

選手になめられる訳には行かない。足の角度、水中の姿勢、タイミングのとり方など、あらゆる点を分析し、自分のコーチ力を磨いていきます。

4)代表コーチとなって6年、初めてのオリンピックに臨みます。1984年のロサンゼルスオリンピックです。
(続く)

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2009年6月11日 (木)

27年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんが中国に渡った時の話が6月4日のNHK総合テレビジョンの「知る楽選」で紹介されました。(その6)「え、何で5番?4年前、確か2番だったよね。」

12)北京オリンピックのシンクロスイミング・チーム演技、井村雅代さんが考えた中国チームのテーマは、「ワンダフルチャイナ」。
龍(りゅう)や蓮(はす)の花など、中国らしさを前面に打ち出した。
高く上げた長い足の動きで蓮の花が開くイメージを表現した。
そして結果はロシア(金)、スペイン(銀)に次ぐ銅メダル。
中国シンクロ史上、初めての快挙である。
コーチ生活34年。井村雅代さんの12個目のオリンピックメダルである。
プールサイドの井村雅代さんの周りに歓喜の輪が出来た。

13)井村雅代さん「選手達を見た時に、あ、この人達に、中国のシンクロ界にメダルを残してやる事が出来た。
私はちゃんと仕事をした、そんな気持ちだった。
で、ボーとしてて、パッと、電光掲示板を見たら、日本が4位にいなかった。
6番目にあって、同率の5位て書いてあった。

(中略)え、何で5番?4年前、確か2番だったよね。
私、2番で、やっぱりロシアに勝てなくて悔しい思いをして2番だったよね。
何でこんなに下なのって思った時に、ぽろぽろって涙が出てきた。」

次回以降は、井村雅代さんのコーチ人生とコーチ哲学です。
(続く)

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2009年6月10日 (水)

7年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんが中国に渡った時の話が6月4日のNHK総合テレビジョンの「知る楽選」で紹介されました。(その5)「確かに凄い緊張する。心臓だって、口から飛び出しそうです。でも、これは、私は、生きてるって感じがするんですよ。」

9)そして迎えた北京オリンピック。シンクロのデュエットに出場した双子の蒋(しょう)姉妹は双子ならではの息のあった演技で、メダル獲得の大きな期待がかけられていました。 

しかし、本番で、倒立して足だけ水上に出して、二人が揃って回転する演技で、二人の回転のタイミングに僅かな、差が生じてしまいます。
このミスが響いて4位、惜しくもメダルに届きませんでした。
井村雅代さん
「あんな事起こるんですね。あんなのもう1年以上、見た事ない。私あれ見た時に、経験も込みでやっぱり、オリンピックのメダルなんだって、思いましたね。
1年以上もあんなミスした事がないですよ。
でも。あれを見た時に、私の手からメダルがぽろっと手から落ちましたね。」

「失敗した子が私に手を差し出すんですよ、“私が間違ってご免なさい、思い切り叩いてくれって”・・・思い切り叩いてやった。
本当に思い切り叩いてやった。
本当にほっぺたでも、ひっぱたきたいぐらいの気持ちだったけど、この子達は、それをしたって何の解決にもならない。」

10)エースの蒋(しょう)姉妹がまさかの失敗、2日後のチーム演技を前に、井村雅代さんは選手達のオリンピックの怖さ、メダルを取る難しさ、不安を感じ取っていました。

そして井村雅代さんのとった方法は、「兎に角、選手達を一人にしないこと、一人になると色んなことを考えるから・・・その為には、練習しかない。ずーっと、練習しましたよ。
良い時は1人でもいいけれど、やっぱり、仲間がいると救われるじゃあないですか。
人間強いといっても弱いですよ。
だから、いつも一緒にしておく。そして終わるまでは兎も角、チームの事だけを皆で考えさす。」
「そこから、当日の朝ごはんを食べに行くまで、私、いつ寝たか、いつ起きたか、何食べたか、何も覚えていない。」

11)そしてチーム演技の日を迎える。
「選手達は緊張していた」、と井村雅代さんは言う。

「心地よい緊張はしなければいけない。私は何故、こんなに長い間コーチをしているかというと、確かに凄い緊張する。心臓だって、口から飛び出しそうです。
でも、これは、私は、生きてるって感じがするんですよ。
この感触が忘れられないから又(コーチを)やる訳ですよ。」
(続く)

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2009年6月 9日 (火)

27年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんが中国に渡った時の話が6月4日のNHK総合テレビジョンの「知る楽選」で紹介されました。(その4)「被災地に明るい話題を届けよう、それは皆しか出来ない事じゃあないの、それをしようよ。」

7)井村雅代さん「あれ(四川省大地震)は2時28分に起こったじゃあないですか。私達が練習をして帰ってきて、食堂にテレビがついていたんですね。
そしたら(双子の蒋(しょう)姉妹の)お姉さんの方がトレイをもったまま固まってしまったんですよ。
そして立ったまま号泣しだしたんですよ。
中国のコーチ達も、(仲間も)誰も声をかける事が出来なかったんですよ。」
 
8)突如訪れたチームの危機に井村雅代さんは選手達に語りかけます。
「被災地に明るい話題を届けよう、中国のシンクロチームはオリンピックでこんなに頑張ったんだ、こんな良い成績をとったよ、中国で始めての素晴らしい成績をとったよ、ってそういう話題を届けてご覧、それは皆しか出来ない事じゃあないの、それをしようよ。オリンピックで良い成績を残そうよ。 それを聞いて皆が“分かった”って言ってくれた。」
(続く)

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2009年6月 6日 (土)

27年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんが中国に渡った時の話が6月4日のNHK総合テレビジョンの「知る楽選」で紹介されました。(その3)「その姿を見た時に、こんなにがむしゃらにやっている、この子達がメダルを取らなかったら誰が取るの?って、やっぱり、そんな気持ちになりましたもん。」

4)井村雅代さんが行って驚いた事は筋肉が無い事でした。
先ず、選手達の肉体改造に取り組みます。
小食だった女子選手に成人男子の凡そ2倍、1日5,000キロカロリーの食事を摂るように指導します。
そして猛練習に耐えうる体作りの為に、ハードな筋力トレーニングを命じました。

井村雅代さん
「月曜から土曜日まで、午前中、1ヶ月、ずーと、全部、筋トレです。」
 
5)井村雅代さん「日本の子だったら、辛い時はとまって泣くと思うけど、あの子達は、動きながら、涙を流しながら、私は先生の言っている事が分からない、どこの筋肉なの、言いながら(トレーニングを)やる訳ですよ。ここなんだ、想像してご覧って言う訳ですよ・・・その姿を見た時に、こんなにがむしゃらにやっている、この子達がメダルを取らなかったら誰が取るの?って、やっぱり、そんな気持ちになりましたもん。」

6)井村さんの練習に選手達がついてこれるようになり、ひとつに纏まり始めたオリンピックも間じかに控えた2008年5月、6万人以上が亡くなる大地震が四川省を中心に発生します。 
あの身長175センチの双子の蒋(しょう)姉妹も四川省出身でした。
(続く)

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2009年6月 5日 (金)

27年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんが中国に渡った時の話が6月4日のNHK総合テレビジョンの「知る楽選」で紹介されました。(その2)「日本のシンクロはこんなに素晴らしいんだとアピール出来る素晴らしい機会になると思ったから、私は(コーチの要請を)断ることは出来なかったんですね。」

3)井村雅代さん「だって、日本のノウハウを敵国に売るとか・・・
私に言わせれば中国は、あの時、敵にまでなってませんよ。
6位7位で、日本は2番でしたもんね。違う世界・・・2位と6位7位では全く違う世界ですよ。
(妥当日本なんて)全くなし、最後の最後まで無し。
日本流のシンクロの良さをアピールするには絶好の機会、開催国であるから、それだけでも注目を浴びる。
開催国の中国が強くなったら、日本のシンクロはこんなに素晴らしいんだとアピール出来る素晴らしい機会になると思ったから、私は(コーチの要請を)断ることは出来なかったんですね。」

(続く)

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2009年6月 4日 (木)

27年間にわたってシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めてきた井村雅代さんが中国に渡った時の話が6月4日のNHK総合テレビジョンの「知る楽選」で紹介されました。(その1)

1)井村雅代さんが中国のコーチを引き受けたいと思った理由の一つが広大な中国全土から集められた素質溢れる選手達、中でも注目は身長175センチの双子の蒋(しょう)姉妹でした。
抜群のスタイルを持った二人には、「コーチとして指導してみたくなる魅力を感じた」、と井村雅代さんは語っています。

2)井村雅代さんが中国のコーチに就任したのは北京オリンピックの1年8ヶ月前の2006年12月でした。
 
しかし、日本国内には井村雅代さんに対する批判の声が高まります。 
“裏切り者!?カリスマコーチ中国へ寝返り”・・・

この声には「びっくりした」と井村雅代さん。
「え!そんなに言うの?そんなに言われる事なの?」
(続く)

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2009年6月 2日 (火)

女優・酒井和歌子(さかいわかこ)さん(60)が、5月26日テレビ朝日「徹子の部屋」に出演され、南極・北極旅行や健康法、食事や結婚に対する思いなど語っておられました。(5)「はい、シベリア鉄道も乗りたいです・・・列車も景色が変わって楽しいと思います」

黒柳徹子「この間、氷川きよし君と変装して原宿に手相を見て貰ったら、あのー、結婚って言ったら、え、全然ございませんって、そんなにいきなり言わなくってもって思いましたけど、言われましたからねー、ちょっとねー、でも貴方は希望を持って・・・」 
酒井和歌子(笑いながら)「はい」 (中略)

黒柳徹子「で、今の貴方の希望はシベリア鉄道に乗って横断したい、」 

酒井和歌子「はい、シベリア鉄道も乗りたいです。」 
黒柳徹子「あれは、どれくらいなの?」 
酒井和歌子「1週間・・・列車も景色が変わって楽しいと思います・・・」

テレビ画面で拝見する酒井和歌子さんは、黒柳さんも言っていたけど、本当に若く見えて、40代といっても通用しそうでした。

Sakai021

アイドル時代の酒井和歌子さん、このような顔立ちのアイドルは最近見なくなりました・・・

(酒井和歌子さんの項、終わり)

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