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2009年10月

2009年10月31日 (土)

10月23日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、10月21日に亡くなった女優の南田洋子さんが、過去「徹子の部屋」に出演された中から、「追憶・さん」として映像で在りし日の彼女を偲んでいました。(その5)「まあ、お互いにね、足らないものを何かで補いながらやりましょう、みたいな、ね。そんな悪気があって言った訳じゃあないんですけど」

1995年8月7日放送(当時南田洋子さん52歳)の「徹子の部屋」より
黒柳徹子「初めて、“太陽の季節”にあの方(長門裕之)が抜擢されて、貴方は、日活でスターでいらして、南田さんに呼ばれて、“貴方、役のイメージに合ってないわ”って言われたのがとてもショックだった、と仰ってましたけど」 

南田洋子「何か私のイメージでは8頭身で脚が長くて。
で、じゃんと、下を見たら正に日本人の体型ですからね。
うん、私もそうだし、まあ、お互いにね、足らないものを何かで補いながらやりましょう、みたいな、ね。そんな悪気があって言った訳じゃあないんですけど、かなり、いまだに言います。(笑い)しつこいですね・・・(笑い)」
(続く)

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2009年10月30日 (金)

10月23日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、10月21日に亡くなった女優の南田洋子さんが、過去「徹子の部屋」に出演された中から、「追憶・さん」として映像で在りし日の彼女を偲んでいました。(その4)「逃げ道をいつも、残してあげてね、どうぞって・・・」

黒柳徹子「いろいろ耳にも入るだろうし彼(長門裕之)の言動がおかしいと思っても、問い詰めたりなさらないの?」 

南田洋子「私ね、日本人の昔からの城攻め?ああいうの、好きじゃあないの」 
黒柳徹子「(笑いながら)城攻め?兵糧攻めみたいな?」 

南田洋子「そう、ああいうの嫌いなの、だから逃げ道をいつも、残してあげてね、どうぞって・・・」
(続く)

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2009年10月29日 (木)

10月23日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、10月21日に亡くなった女優の南田洋子さんが、過去「徹子の部屋」に出演された中から、「追憶・さん」として映像で在りし日の彼女を偲んでいました。(その3)

南田洋子「何か色んな事があって、はじめて人生だし。私なんかねえ、人生一直線、なんか嫌いなの。
人生、くねくね、ね。“旅人続けます”って、いうそういう感じだから。」

黒柳徹子「長門さんは貴方を恐れているところがあるでしょう?」
南田洋子「いや、全然ない。」
黒柳徹子「もう悪びれない。」

南田洋子「だって昔なんか、ほら、うちの旦那さん、小指ちゃん、好きでしょう(笑)・・・」
「そいでね、“洋子さんに見つかったら何ていうんですか?”って聞かれたらしいの、そしたら、“あっ、あれは夢だ”って言う、て・・・」
黒柳徹子「(笑いながら)ふ、ふ、ふ、凄いね」
南田洋子「ああ、そう、貴方だったら夢でしか出来ないもんね、って・・・」
黒柳徹子「言ってあげるの」
南田洋子「うん、“お前は強い”って」(笑い)
(続く)

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2009年10月27日 (火)

女優の黒谷友香さんが10月25日放送のテレビ東京の「ソロモン流」に出演されました。(その2)「今は一生懸命やるけど、先の未来の事で変に憂(うれ)えない」

黒谷友香「今を厳(きび)しく、未来は楽しく、過去は優(やさ)しく、みたいな。

そういう風に、今は一生懸命やるけど、先の未来の事で変に憂(うれ)えないで、だったら今出来る事をやる。

そうするとどんどん、それが流れていって一歩先の自分みたいなのが、凄く楽しく生きていってるのかなあ、とか思って・・・」
(黒谷友香さんの項、終わり)

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2009年10月26日 (月)

女優の黒谷友香さんが10月25日放送のテレビ東京の「ソロモン流」に出演されました。(その1)

黒谷友香「尽くされるのが好きなタイプです。わがままだから(笑う)。」

テリー伊藤「どんな風にわがままなの?」
黒谷友香「本当だったら尽くして尽くして、その人を幸せにしてあげたいっていうのがねー理想なのに、尽くされる方が好きですって言っているくらいだから、何かわがままなんじゃあないかなあと思って」
テリー伊藤「自分でそれ分かってるんだ」
黒谷友香「うん」
(続く)

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2009年10月25日 (日)

“ベルリン国立バレエ団”でプリンシパル(88名のバレーダンサーの階層のトップに位置し、主役を踊る)を務め、日本でも熊川哲也が芸術監督を務める“Kバレエカンパニー”のゲストプリンシパルとして活躍するバレエダンサー中村祥子(しょうこ)(29)さんがNHK総合テレビジョン10月9日深夜放送の「トップランナー」に出演されました。(その9)「毎回、あっ、絶対必ずあるって信じてて、だから粘っていますね。いつも。諦(あきら)めず、粘る!」

10月23日(金)のブログの続きです。

15)会場からの質問「苦境を乗り切る方法は?」

中村祥子「舞台とか、リハーサルをしていていつも壁にぶっつかるんですが、でも、“絶対に諦めない”と思うんです。

粘る。諦めたくなるぐらい、ずっしりと、ストレスとか、分からない事に悩んだりするんですけど、少し、ほんの少し諦めなければ、パッと見えてくるものってあるんですね。
そこからばっと広がっていくんです。それを知っているから、毎回、あっ、絶対必ずあるって信じてて、だから粘っていますね。いつも。諦(あきら)めず、粘る!」
(中村祥子さんの項終わり)

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2009年10月24日 (土)

10月23日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、10月21日に亡くなった女優の南田洋子さんが、過去「徹子の部屋」に出演された中から、「追憶・さん」として映像で在りし日の彼女を偲んでいました。(その2)

黒柳徹子「(長門裕之さんの)鼾(いびき)が凄(すご)いんですって・・・」

南田洋子「あ、寝た寝た床に入ったと思ったら、グオー(と鼾の真似)」
黒柳徹子「(笑いながら)直ぐ?」

南田洋子「うん、直ぐ、」「第一、鼾が一寸、汚い音なの・・・(笑い)」
黒柳徹子「ほんとー」

南田洋子「・・・でも、やっぱり、汚くても何でも、私は安心する・・・」
「やっぱりねーまーいいや、鼾ぐらい、好きにやらしてやろう・・・て」

(50年近い長い結婚生活を振り返って)
南田洋子「結婚というものは、皆さん、直ぐ別れる方もいらっしゃるけど、決して、楽なものじゃあないですよ。楽しいもんじゃあないですよ。」
(続く)

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2009年10月23日 (金)

10月23日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、10月21日に亡くなった女優の南田洋子さんが、過去「徹子の部屋」に出演された中から、「追憶・南田洋子さん」として映像で在りし日の彼女を偲んでいました。(その1)

1)2006年2月8日放送(当時南田洋子さんは72歳)より。
黒柳徹子「去年、45年だったね。結婚式・・・」

南田洋子「そうなんですよ・・・今から7年前にこれに出して戴いた時に、やっと私達、夫婦になったような気がしたって言ったんですけど、もう完璧夫婦ですね。」

「この頃はね、私も結構、言いたいことを言います。」
黒柳徹子「前は仰(おっしゃ)らなかったのあんまり。」

南田洋子「ええ、言いません。今は、結構、言います。いじめないけどね。」
黒柳徹子「ふふふ、そうするとあっちはどうしているの?そういう風に言われて?」

南田洋子「そのようなことは今まで無かった事だから、最初はびっくりしたけど、そうだよな、お前も言えば良いんだよ、って。」
(続く)

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“ベルリン国立バレエ団”でプリンシパル(88名のバレーダンサーの階層のトップに位置し、主役を踊る)を務め、日本でも熊川哲也が芸術監督を務める“Kバレエカンパニー”のゲストプリンシパルとして活躍するバレエダンサー中村祥子(しょうこ)(29)さんがNHK総合テレビジョン10月9日深夜放送の「トップランナー」に出演されました。(その8)熊川哲也氏「(笑いながら)もう10・・・5センチ、背が低かったら良かったなあ、というぐらい・・・それは、俺が(一緒に)踊りたかった、って、言うだけだからさー(笑)」

10月20日(火)のブログの続きです。

14)“Kバレエカンパニー”を主唱する熊川哲也氏の中村祥子評
「音楽を自由自在にあやつれる。
音楽を自由自在に引っ張っていく感じの力というのは、普通の人だったらここで(手を泳がす)終わるが、彼女は、一寸、伸びていくというとかいう、そういう何か・・・」
「今から、5年、6年が、一番いい時を迎えてくるからね。
それを日本の文化向上の為に、彼女も一役買わなければいけないと思うよ。
あれだけの才能の持ち主なんだから。それをするにはバレーには沢山のサポートが必要だし、そこは僕は惜しみなくしたいと思いますね。

・・・もっと厳しい事言って欲しかった?本当は?(笑)ないんだよな・・・(暫く考えて)・・・(笑いながら)もう10・・・5センチ、背が低かったら良かったなあ、というぐらい(注:中村祥子さんは173センチ)・・・それは、俺が(一緒に)踊りたかった、って、言うだけだからさー(笑)」
(続く)

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2009年10月22日 (木)

10月13日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に女優の常盤貴子(ときわたかこ)さんが出演しました。その時、10月10日(土)より松竹配給で全国ロードショー上映中の常盤貴子さん主演の映画「引き出しの中のラブレター」で仲代達矢さんと共演した時の話が出ました。(その2)

常盤貴子「仲代さんが“そんなね、明日から、がんこ親父というか、無口なお爺ちゃんの役をやるのに、クランクインと言えば、僕も、やっぱり緊張するんだよ、それなのに皆とわいわい楽しくなんて出来ないよ。やっぱり緊張感を持って初日を迎えたいし、やっぱり、それはどうしても行く事が出来なかったんだ、ご免なさい”って言って下さって」

黒柳徹子「えー」
常盤貴子「もう凄い、それだけで感動して泣きそうになってしまって、」
黒柳徹子「そうね」

常盤貴子「何かあれだけ大ベテランの方なのに初日をそんなに大事に思って下さって、前の日に、私も同じなんですけど、緊張して大切な儀式のように前の日を思って下さっているのが凄く嬉しくて、素敵な俳優さんだなと思って」

黒柳徹子「そう、良かったですね。
じゃあその後も、ずーと一緒になって、いちいち嬉しかったでしょう。芝居をご一緒になさって。」

常盤貴子「ほんとにもう、圧倒的な存在感で、たかだか背中を撮っているだけなんですけど、もう背中を見ているだけで泣けてくるみたいな」
(常盤貴子さんの項、終わり)

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2009年10月21日 (水)

10月13日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に女優の常盤貴子(ときわたかこ)さんが出演しました。その時、10月10日(土)より松竹配給で全国ロードショー上映中の常盤貴子さん主演の映画「引き出しの中のラブレター」で仲代達矢さんと共演した時の話が出ました。(その1)

これから、映画「引き出しの中のラブレター」のクランクイン(撮影開始)という緊張の前日、仲代達矢さんが函館から現地入りされるので、皆の親睦を図る為の会をプロデューサーが企画し、常盤さんも誘われました。

常盤貴子さん「正直、私、嫌だったんですね。(クランクインの前日は)やっぱり、緊張しますし、明日から仲代さんとの大変なシーンがあるのに、やーだなあ、でも仲代」

黒柳徹子「飲んだり、ご飯を食べたりするのが嫌だなあという感じ・・・」

常盤貴子「ええ、気持ち的に、ずーと落ち着かないので、やだなと思っていたんですけど、やっぱり大先輩が入られた日なので、それはやっぱり、やっておくべきだなあと思って、“じゃあ私は行きます”ってお返事をして。

で仲代さんが入られて、空港でプロデューサーの方が、“今日、食事会を用意しているんですけど如何ですか?”って聞いたら、お断りになったんですよ!(びっくりした表情)

で、電話がかかってきて、仲代さんがお断りになられたので、今日の食事会はキャンセルになりました、って。凄く嬉しくて・・・

でも不思議じゃあないですか、」

黒柳徹子「そう!」
常盤貴子「大御所の方々って、皆さん、そういう会を大事にされる方が多いので」
黒柳徹子「そうそう、ええ」

常盤貴子「で、凄く意外で、失礼だなと思ったのですが、次の日クランクインして、大分落ち着いた頃に、すごーく申し訳ない質問なんですけど、昨日、(食事会を)お断りになられた事が、私、凄く嬉しくて、どうしてお断りになられたんですかって訊いたら」
(続く)

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2009年10月20日 (火)

“ベルリン国立バレエ団”でプリンシパル(88名のバレーダンサーの階層のトップに位置し、主役を踊る)を務め、日本でも熊川哲也が芸術監督を務める“Kバレエカンパニー”のゲストプリンシパルとして活躍するバレエダンサー中村祥子(しょうこ)(29)さんがNHK総合テレビジョン10月9日深夜放送の「トップランナー」に出演されました。(その7)「限りなく課題があるんです。もう、間に合わないって言う位。」

12)番組キャスター箭内(やない)道彦「練習の虫って言う噂は本当ですよね。」

中村祥子「練習の虫・・・なんですかね・・・どうなんだろう。
でも、練習は沢山する方だと思います。」

番組キャスターSHIHOさん「今日行きたくないなあ、という日はないんですか?何かだるいみたいな・・・」

中村祥子「あります。あるんです。
朝起きて、前の日のリハーサルだとかの、疲れが凄くたまっていて、目が覚めた時、“うっ”ときて、全身が“ズシンっ”て重さがあるんですけど、まあ、そこから起き上がって、劇場に行って音楽を聴けば、何か“すーっと”(笑い)スイッチが入るというか、もう、日常生活に入っていますね。バレーが・・・」

13)箭内道彦「(練習を見に行った)この時も、だって、“もう終わりっ”てなった後も、やってらしましたよね・・・次の人達が来るまでって、ぎりぎりまで・・・」

中村祥子「やっぱり自分が満足っていうか・・・限りなく課題があるんです。
もう、間に合わないって言う位。
だから出来る時間のある限り、目指したいっていうか、前に進みたいっていうか、自分に良いものを、もっと、もっと、つけていきたいって思うんで、もう、夢中になっちゃっていて、時間なんか忘れているんですよね。」
(続く)

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2009年10月19日 (月)

“ベルリン国立バレエ団”でプリンシパル(88名のバレーダンサーの階層のトップに位置し、主役を踊る)を務め、日本でも熊川哲也が芸術監督を務める“Kバレエカンパニー”のゲストプリンシパルとして活躍するバレエダンサー中村祥子(しょうこ)(29)さんがNHK総合テレビジョン10月9日深夜放送の「トップランナー」に出演されました。(その6)「私もやっぱり小さい頃から色んなコンプレックスを持っていて、でもやっぱりバレーが好きだったからバレリーナになりたいと思っていて・・・」

11)世界的なダンサーでもある“ベルリン国立バレエ団”芸術監督ウラジーミル・マラーホフは中村祥子について次のように語っている。
「ピュアで日本人らしく繊細。舞台では全てが完璧。
(中略)そしてなにより、自分の欠点をどう隠せばよいか知っている。
脚の形とか、体の線とか、欠点のある人は多いけど、プロですら彼女の欠点に気づかない。そこが彼女の賢いところ。
自分がどう見えているか心得て踊っている。
見る側に欠点を気づかせない。
誰をも魅了してしまう天賦の才があるんだ。
まさに生まれながらのプリンシパルさ。」

中村祥子「凄く嬉しいです。
誰もって言えないんですけど、気づいて貰えなかった事を、あっ、気づいてくれてたんだって、今、凄く感動しました。

私もやっぱり小さい頃から色んなコンプレックスを持っていて、でもやっぱりバレーが好きだったからバレリーナになりたいと思っていて・・・うーん、それをちゃんと分かっていて、育ててくれていたんだなあと思って、凄く嬉しい。」
(続く)

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2009年10月18日 (日)

“ベルリン国立バレエ団”でプリンシパル(88名のバレーダンサーの階層のトップに位置し、主役を踊る)を務め、日本でも熊川哲也が芸術監督を務める“Kバレエカンパニー”のゲストプリンシパルとして活躍するバレエダンサー中村祥子(しょうこ)(29)さんがNHK総合テレビジョン10月9日深夜放送の「トップランナー」に出演されました。(その5)

9)番組キャスターSHIHOさん「プリンシパルを務めるプレッシャーは?」

中村祥子「凄くありますけど、自分はそこを目指してきたんだから、やるべきっていうふうに・・・」
番組キャスターSHIHOさん「意地悪されたりとかないんですか?映画だと、トーシューズ隠されたりとか・・・(笑)」

中村祥子「よく聞かれるんですけど、そういう事は無いですね。(笑)
漫画とかでは、あるらしいですけど、ベルリンバレー団では、ほんと、皆プロとして良い舞台を作ろうという気持ちが大きいんで、ダンサー同士で助け合って、ここをもう一寸こうした方がやり易いよとか、だから本当に良い関係で・・・やってますね。」

10)番組キャスター箭内(やない)道彦
「俺、姿勢が悪いといわれるんですが、ワンポイントアドバイスありますか?」

中村祥子「一寸、背中が前に行ってますね。もう少し(肩を)開いて、(胸を張る)顎(あご)を上げて、自信を持って・・・」
(続く)

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2009年10月17日 (土)

“ベルリン国立バレエ団”でプリンシパル(88名のバレーダンサーの階層のトップに位置し、主役を踊る)を務め、日本でも熊川哲也が芸術監督を務める“Kバレエカンパニー”のゲストプリンシパルとして活躍するバレエダンサー中村祥子(しょうこ)(29)さんがNHK総合テレビジョン10月9日深夜放送の「トップランナー」に出演されました。(その4)「分かってはいたけど、泣きました。凄く憧れていたバレエ団だし、契約が無い事は残れない事だし・・・」

5)手術後、戻ったのがシーズンも終わり頃で、次のシーズンの契約の話し合いで、契約打ち切りを告げられる。

中村祥子「分かってはいたけど、泣きました。
凄く憧れていたバレエ団だし、契約が無い事は残れない事だし・・・」

6)もう一度踊りたい。
リハビリを続ける中村のもとにチャンスが訪れる。
ウイーン国立歌劇場バレエ団の100倍を越すオーディションに見事合格、2000年に入団を果たす。

7)入団後は誰よりも練習に励み、準ソリスト(2001年)、ソリスト(2002年)と階段を登っていった。

8)そして2006年、現在所属する“ベルリン国立バレエ団”に移籍、2007年、僅か1年でプリンシパルの座を手に入れた。
(続く)

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2009年10月16日 (金)

“ベルリン国立バレエ団”でプリンシパル(88名のバレーダンサーの階層のトップに位置し、主役を踊る)を務め、日本でも熊川哲也が芸術監督を務める“Kバレエカンパニー”のゲストプリンシパルとして活躍するバレエダンサー中村祥子(しょうこ)(29)さんがNHK総合テレビジョン10月9日深夜放送の「トップランナー」に出演されました。(その3)

3)中村祥子さんはコンクールの奨学金でドイツの名門ジョン・クランコバレエ学校に留学し、徹底的に鍛えられる。
「そこでバレリーナとしての基礎を教わった」、と中村祥子さんは語っています。
O脚的な体型の欠点を補うような見せ方もそこで学んだとのことです。

4)2年間バレエ学校で学んだ後、1998年にプロとしてシュトウットガルト・バレエ団に迎えられる。
しかし、その僅か1ヵ月後、左の足首の靭帯断裂の事故にあう。

練習中のレッスンで着地した時、「バキバキと音がした」という。
直ぐ病院にいくと、医者は普通に生活する分には、このままでも問題ないが、フェッテ(連続して32回転する技)をしたいんなら手術しなさい、と言われて、迷う事無く手術を受ける。
(続く)

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2009年10月13日 (火)

“ベルリン国立バレエ団”でプリンシパル(88名のバレーダンサーの階層のトップに位置し、主役を踊る)を務め、日本でも熊川哲也が芸術監督を務める“Kバレエカンパニー”のゲストプリンシパルとして活躍するバレエダンサー中村祥子(しょうこ)(29)さんがNHK総合テレビジョン10月9日深夜放送の「トップランナー」に出演されました。(その2)「変身というか、舞台の上では、いつもの自分とは違った自分になれるという。何か自信が持てるという。」

2)中村祥子
「赤の衣装を着るのが初めてというか、真っ赤な衣装に真っ赤なバラと言うのに、自分で鏡を通して見て、何か、入り込んじゃったんです。

自分のキャラクターに入り込んじゃって、それから好きになったんですね。
変身というか、舞台の上では、いつもの自分とは違った自分になれるという。

何か自信が持てるという。何かこう、睨(にら)みつけるような表現も出来なかったんですよ。やるような子ではなかったというか(笑)、そこから何か、始まりのような気がするんです、
自分の。舞台で違う自分になれる、一歩だったような思いがあります。」

そして1996年、中村祥子16歳の時、スイス・ローザンヌの国際バレーコンクールでスカラーシップ賞を受賞し、海外留学の切符を手に入れる。
(続く)

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2009年10月11日 (日)

“ベルリン国立バレエ団”でプリンシパル(88名のバレーダンサーの階層のトップに位置し、主役を踊る)を務め、日本でも熊川哲也が芸術監督を務める“Kバレエカンパニー”のゲストプリンシパルとして活躍するバレエダンサー中村祥子(しょうこ)(29)さんがNHK総合テレビジョン10月9日深夜放送の「トップランナー」に出演されました。(その1)「この時からですかねー何か、スイッチが入るようになったのは」

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1)中村祥子:1980年佐賀県佐賀市生まれ。3人姉妹の長女。
引っ込み思案でいつも妹の後ろに隠れているような女の子だった。
父親に進められ6歳でバレーを始める。小学校6年生の時バレーコンクールに参加し、それまで内気な少女だった中村はこのコンクールで大きく変化したという。

中村祥子
「この時からですかねー何か、スイッチが入るようになったのは、多分。」
(続く)

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2009年10月10日 (土)

オノ・ヨーコ(76)さんがテレビ朝日「徹子の部屋」に出演し(10月6日放送)既に良く知られた話ですが、43年前のジョン・レノンとの出会いや近況を語っていました。(その2)

(10月6日のブログの続きです。)
黒柳徹子「ぴしゃっと気が合ったのが最初・・・」
オノ・ヨーコ
「驚いたの、私の作品の事を良く分かってくれていて・・・」
黒柳徹子「その時はビートルズの事は・・・」
オノ・ヨーコ
「うん、私はビートルズ(のメンバー)とは知らなかった。彼(ジョン・レノン)が帰った後、展覧会を手伝っていた子、学校の生徒が、あれは、ビートルズのジョン・レノンだって言うの、だから、ああそう、って・・・」
黒柳徹子「その程度・・・」
オノ・ヨーコ「(うなずいて)その程度」
 
オノ・ヨーコさんは今もジョン・レノンと暮らしたニューヨークのダコタ・ハウスに暮らしています。

黒柳徹子「そこにずーとお住まいになっていると時々辛いという事はないですか?」

オノ・ヨーコ
「うーん、それはね、ジョンと私が自分のホームとして作ったところだから、他のところに行っても、ジョンの感じが無いでしょう・・・」
(オノ・ヨーコさんの項、終わり)

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2009年10月 9日 (金)

市民大学・雑学大学は各地にありますが、武蔵野市吉祥寺にある「吉祥寺村立雑学大学」は30年の歴史があります。授業料・講師謝礼・会場費が無料で市民が手作りで運営しています。(NHK総合テレビジョン・「いっと6けん」9月30日放送より)(その4)

講義が終わっての講師を囲んでの昼食会も「吉祥寺村立雑学大学」の恒例です。
昼食会の出席者が1人@100円を寄附して講師の方の昼食代にします。
講師を務めたBさん「知り合いが出来て昼食会もして良かったです。」

神田にも「神田雑学大学」があります。
「神田雑学大学」のCさん
「参加する方はどういう訳か、皆さん非常に元気なんですね。
お互いのオーラが影響しあっているからだと思う。
そういう意味では、雑学大学は明らかに老人福祉に役立っているので世の中にどんどん広めたい。
シルバーの方は力が残っているんですね。
現役時代に培った力がリタイア後でも残っている。
世の中に一寸、シルバーの活躍する場を提供したらいいんじゃあないかと思います。」
「吉祥寺村立雑学大学」の項、終わり

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2009年10月 8日 (木)

市民大学・雑学大学は各地にありますが、武蔵野市吉祥寺にある「吉祥寺村立雑学大学」は30年の歴史があります。授業料・講師謝礼・会場費が無料で市民が手作りで運営しています。(NHK総合テレビジョン・「いっと6けん」9月30日放送より)(その3)

Bさん「(フィジーに)2年間いて、日本で言えば10年分くらい活躍できて、色々楽しめたなあということで良かったと思います。」
Bさんの講義を聞いた生徒の感想「Bさんのたぎる熱意、年を重ねてもあれだけ熱意があるのは感心しました。」
「もっと、年をとってもお役に立つことが出てくるかもしれないなと思いましたら、今日、ここでお話を聞いたのが凄く、意義がありました。」

Bさん「仕事で培(つちか)ってきた力を今度は社会貢献という形で活(い)かしたい、定年後にチャレンジした(海外ボランティア)経験を元に、幾つになっても自分の力を発揮できる事を伝えようと思っています。」
(続く)

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2009年10月 6日 (火)

オノ・ヨーコ(76)さんがテレビ朝日「徹子の部屋」に出演し(10月6日放送)既に良く知られた話ですが、43年前のジョン・レノンとの出会いや近況を語っていました。(その1)

1)黒柳徹子「でも、ジョンに会う前はビートルズに関心がおありだったの?」 

オノ・ヨーコさん「全然なし。日本にいた時に、こんなちいちゃな(と、指で小さな枠を作る)記事で、モップトップみたいな変な髪形の4人がこの頃、とても人気があるって出てたの。
それきり、覚えていないの、私。」

黒柳徹子「そうなの、それで或る日、ジョンが(オノ・ヨーコさんの)展覧会にいらしって下さったという話をこの間伺ったんだけど」 

オノ・ヨーコさん「でね、私がロンドンで展覧会をしてて、オープニンぐの日に、オープニングの1時間ぐらい前に、画廊のオーナーと一緒に、フッと入ってきたのよ。
画廊のオーナーには“オープンまでは誰も連れてきては駄目よっ”て言ってあったの。それが来たでしょう、どうしたのかな、と思ったけど、まあ、お友達だろうと思って黙っていたの。
その時、(気が)ぴしゃっと合ったのが始め。」
(続く)

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市民大学・雑学大学は各地にありますが、武蔵野市吉祥寺にある「吉祥寺村立雑学大学」は30年の歴史があります。授業料・講師謝礼・会場費が無料で市民が手作りで運営しています。(NHK総合テレビジョン・「いっと6けん」9月30日放送より)(その2)

「吉祥寺村立雑学大学」はこれまで、1,500回近い講義が行なわれてきました。
生徒の言葉「土曜日は絶対此処に来なくてはと思っています。生きがいみたいな感じで色んなことが学べる」
「知識が広がる、そういうのが魅力ですね。」
講義の例:
①通訳として船で世界を巡った経験を元に、各国の港町の歴史を語る
②プロの能楽師が舞台を解説

昨年まで2年間JICAジャイカ(国際協力機構)の学校建設のボランティアでフィジーを訪れていたBさん(70)は、かって大手建設会社の建築士として現場監督を務めていました。
バングラデッシュ・ドイツ・イラク等、海外の建設現場でも現地の人たちと一緒になって汗を流してきました。
Bさんは、ボランティアで働いたフィジーでは趣味の水彩画で交流の輪を広げていきました。
子供達に水彩画を教えたり、似顔絵をプレゼントしたり、現地の人達の中に積極的に飛び込みました。

自分の趣味を交流に生かせたことが強く心に残っていると言います。
「吉祥寺村立雑学大学」事務局:週刊きちじょうじtel.0422-48-7741 http://www.tokyo-net.ne.jp/kichijoji/zatudai/
(続く)

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2009年10月 5日 (月)

市民大学・雑学大学は各地にありますが、武蔵野市吉祥寺にある「吉祥寺村立雑学大学」は30年の歴史があります。授業料・講師謝礼・会場費が無料で市民が手作りで運営しています。事務局:週刊きちじょうじtel.0422-48-7741 http://www.tokyo-net.ne.jp/kichijoji/zatudai/(NHK総合テレビジョン・「いっと6けん」9月30日放送より)(その1)

毎週土曜日10:00-12:00、吉祥寺駅徒歩5分のビル(かざか証券 吉祥寺フィナンシャルセンター3階)で開講しています。 
生徒の平均年齢は70歳以上で、誰でも講師として教壇に立つことができます。
最高齢のAさんは91歳ですが、今まで、言葉や星、地図などについての講義を行ない、去年、雑学博士第1号の称号を受けました。Aさん「凄い事ないけど、一寸、好奇心があるだけよ・・・」
(続く)

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2009年10月 4日 (日)

1936年(昭和11年)7月ベルリンで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)総会での日本代表・加納治五郎(柔道・講道館の創始者)のオリンピック招致演説。

加納治五郎「アジアは国力の小さい国が多くヨーロッパに選手を送る事さえ困難です。
しかし日本で開催すればアジアの国々は参加しやすくなります。 
又、欧米の巨大な国力をもってすればアジアで行なっても参加は出来る筈です。 

崇高な理念を持つオリンピックは欧米だけのものではありません。
真に世界の文化を目指すのであれば日本で開催すべきであります。」

この演説により1940年のオリンピック東京開催が決定されたが、当時、日本は中国大陸(満州)での泥沼の戦争に突入しており、日本政府は1938年にオリンピック開催権を返上した。

ーNHK総合テレビジョン「歴史秘話ヒストリア」9月30日放送より。

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2009年10月 3日 (土)

9月25日のNHK総合テレビジョン「生活ホットモーニング・この人にトキメキ!」にクラシックギタリストの村治佳織(むらじかおり)さんが出演されました。(その9)【たおやかに生きる】

11)番組の最後に村治佳織(むらじかおり)さんが書いた色紙が【たおやかに生きる】でした。

村治佳織「辞書で『たおやか』を調べてみると、女偏に弱いと書くんですね。
(⇒【嫋やか】著者注:和英辞典を引くと、たおやか=gracefulと出ていました。)
それって、女が弱いという訳ではなくて、弱さも時には見せられる、とか、そういう感じなのかな、と思って、強さとか、弱さとか、いろんなそういう包容力があるような、言葉だったので、そういう生き方を目指して生きてみたいなと思いまして・・・」

Muraji1
(村治佳織(むらじかおり)さんの項、終わり)

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2009年10月 2日 (金)

9月25日のNHK総合テレビジョン「生活ホットモーニング・この人にトキメキ!」にクラシックギタリストの村治佳織(むらじかおり)さんが出演されました。(その8)村治佳織「ラテンの女性からはいい女性らしさを学びましたね。艶(なま)めかしくなり過ぎずに、健康的な露出だったりとか、」

10)村治佳織
「ラテンの女性からはいい女性らしさを学びましたね。
艶(なま)めかしくなり過ぎずに、健康的な露出だったりとか、振る舞いにしてもさばさばしているけれども、やっぱり何か肉感的な部分があったりとか、
凄く、ああこんな感じで良いんだなとか、20代で学びましたので・・・」

黒崎 めぐみアナ「(村治佳織さんは)ますます、男性にとっては手ごわい相手ですよ。」(笑)
(続く)

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2009年10月 1日 (木)

9月25日のNHK総合テレビジョン「生活ホットモーニング・この人にトキメキ!」にクラシックギタリストの村治佳織(むらじかおり)さんが出演されました。(その7)村治佳織「ラテンの男性は、女性が『駄目!』って言ったら、分かったって、次の人に行くと思います。(そんな感じが私と合っている。)」

9)黒崎 めぐみアナ「『私に惚れちゃあダメよ』覚えていらっしゃいます?」
村治佳織
「・・・言ったような気もする・・・タクシーに乗る時ですよね、多分・・・」
永井 伸一アナ
「キーワードがあるんですよね、ダメなものはダメって言う」
村治佳織
「・・・多分こういう感じが、マドリッドの感じと合ったんでしょうね、何か。(注:村治佳織さんは1年の半分をスペインで暮らしている)・・・

ラテンの人も、例えもし、黒崎さんに言い寄ってきても、黒崎さんが『駄目!』って言ったら、分かったって、次の人に行くと思います。男性は。
・・・ああ、だから(私)男性的なんですかね。・・・」(笑)
(続く)

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