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2009年11月

2009年11月30日 (月)

NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の1人、秋山好古(よしふる)の「坂の上の雲」では描かれていない晩年の気骨のある姿が11月29日のNHK「ぐるっと日本」(10:05-11:30)で紹介されました。(その2)

秋山好古(よしふる)は、日露戦争で騎兵隊長として参戦し、当時、世界最強と言われたロシアのコサック騎兵と対決した。
ロシアの兵力は10万人、対する秋山好古の兵力は僅かに8千人であったという。
10倍以上の敵に対して秋山好古は、騎兵戦術を捨て、最新鋭の機銃で武装して陣地に立てこもる戦術を取る。

秋山好古の臨機応変な作戦は味方兵力の消耗を防ぎ、コサック騎兵を苦しめ、日露戦争の流れを大きく変えた。

“兵力の犠牲を極力避け、しかも勝つべき戦争に勝つ”、後の太平洋戦争(第2次世界大戦)の日本軍の、“大和魂”の名の下に国民の命を軽んじた闘いとは比ぶべきも無い真の軍人の姿であるが、それは後述するように彼の晩年にもよく表われる。
(続く)

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2009年11月29日 (日)

NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の1人、秋山好古(よしふる)の「坂の上の雲」では描かれていない晩年の気骨のある姿が11月29日のNHK「ぐるっと日本」(10:05-11:30)で紹介されました。(その1)

秋山好古(よしふる)は、日露戦争で騎兵隊長として参戦し、世界最強のコサック騎兵と対決して勝利に貢献した。後に陸軍大将になり国家的英雄となった。

しかし、元帥昇進を目前にした66歳の時、それまでの地位と名誉をなげうち、地元・松山の中学校長となった。

秋山好古の晩年について「坂の上の雲」では描かれていない。番組では、彼の晩年の幾つかのエピソードを紹介している。
(続く)

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2009年11月27日 (金)

愛媛県立とべ動物園の白くま(ホッキョクグマ)「ピース」は、誕生直後に母グマから育児拒否され、飼育員の高市さんが、家に連れ帰り、母親代わりとなって愛情を注いで育て、世界で殆ど例が無いというホッキョクグマの人工飼育に挑みました。ピースの愛くるしい映像がNHKで何度も公開され評判になりましたが、11月21日の「NHKアーカイブス」の愛媛県立とべ動物園飼育員主任、高市敦広さんの話が印象的でした。(その6)「やっぱり、親という感覚で動物に接するのが一番良い世話が出来るのではないかと思うんですよ。」

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高市敦広さん「動物園の動物は1頭たりとも、自分の意思でここで生活させて下さいと言って来た動物はいない。
人間の都合で限られた空間にいる訳ですから、飼育がかりは人間の代表として何をすべきかというと、動物を幸せにするのが、飼育係の務めである、と私は思うんです。
上から目線で動物を見て、餌をやっているんだ、掃除をしてやっているんだという感覚でいると幸せな動物はできない。お世話をさせて貰っているんだ、というぐらいの気持ちで、やっぱり、親という感覚で動物に接するのが一番良い世話が出来るのではないかと思うんですよ。
よく、プロ意識を持てとか、プロだから、という格好をつけた人もいるかもしれませんが、私はそんな事よりも、親という感覚で動物達を見れたら、親というものは何も見返りを期待しませんし、本当に為になる事は何だろうと考えるのが親だと思うんですね。
動物に対しても親であるという感覚で接していきたいという風に考えるようになったのもピースと接して色んな事を考えるようになった一つの答えでもあるんです。」
(白くま(ホッキョクグマ)「ピース」の項、終わり)

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2009年11月26日 (木)

愛媛県立とべ動物園の白くま(ホッキョクグマ)「ピース」は、誕生直後に母グマから育児拒否され、飼育員の高市さんが、家に連れ帰り、母親代わりとなって愛情を注いで育て、世界で殆ど例が無いというホッキョクグマの人工飼育に挑みました。ピースの愛くるしい映像がNHKで何度も公開され評判になりましたが、11月21日の「NHKアーカイブス」の愛媛県立とべ動物園飼育員主任、高市敦広さんの話が印象的でした。(その5)「私が飼育係として、ピースに育てられてきたんだなと、強く感じますし、」

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アナウンサー「ピースから学んだ事はありますか?」 
高市敦広さん
「之は沢山あります。人から見れば、私がピースを育ててきたように思う方も多いと思うんですけども、それ以上に、私が飼育係として、ピースに育てられてきたんだなと、強く感じますし、そういう意味ではピースは私の子供でもあり、母親でもある。あと、癒(いや)してくれる存在でもありますから、恋人でもあるのかな、と思います。」
(続く)

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2009年11月25日 (水)

愛媛県立とべ動物園の白くま(ホッキョクグマ)「ピース」は、誕生直後に母グマから育児拒否され、飼育員の高市さんが、家に連れ帰り、母親代わりとなって愛情を注いで育て、世界で殆ど例が無いというホッキョクグマの人工飼育に挑みました。ピースの愛くるしい映像がNHKで何度も公開され評判になりましたが、11月21日の「NHKアーカイブス」の愛媛県立とべ動物園飼育員主任、高市敦広さんの話が印象的でした。(その4)「生きている事が当たり前ではない、生きてくれている事が本当に凄い事なんだ」

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高市敦広さん「生まれた時に片手で持てたピースなんですね。680グラムでしたから。之が果たして、200,300キログラムあるホッキョクグマに成長してくれるのかな、という不安もありました。育てるぞという気持ちはあっても、育つという確信は当時は無かったですからね。」
「10年を迎えられる時がきたという事は嬉しいというか、不思議というんですかね。」 
「ピースは今まで何度も生死の間を彷徨(さまよ)ったり、昏睡状態に陥ったということもありましたし、そういう事を経験すると、今生きている事が当たり前ではない。
生きてくれている事が本当に凄い事なんだな、と思えるようになってきたんですね。そうすると生きてくれてるだけで、という感覚にもなってくるんですよ。
生きている事が当たり前ではない、生きてくれている事が本当に凄い事なんだ、という事に気づいて、だから、あれこれ求めたりするよりは、元気でいてくれたら、それだけでいい。」
(続く)

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2009年11月24日 (火)

愛媛県立とべ動物園の白くま(ホッキョクグマ)「ピース」は、誕生直後に母グマから育児拒否され、飼育員の高市さんが、家に連れ帰り、母親代わりとなって愛情を注いで育て、世界で殆ど例が無いというホッキョクグマの人工飼育に挑みました。ピースの愛くるしい映像がNHKで何度も公開され評判になりましたが、11月21日の「NHKアーカイブス」の愛媛県立とべ動物園飼育員主任、高市敦広さんの話が印象的でした。(その3)

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アナウンサー「何が一番支えで、ここ迄…」 
高市敦広さん
「やっぱり、ピースという存在ですね。
あと、ピースを応援して下さる数え切れないくらいの多くの方の期待にも応えなければいけない。
そして、そういう方々への感謝ですね。そういうことが私の力、後押しにもなります。」
(続く)

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2009年11月23日 (月)

愛媛県立とべ動物園の白くま(ホッキョクグマ)「ピース」は、誕生直後に母グマから育児拒否され、飼育員の高市さんが、家に連れ帰り、母親代わりとなって愛情を注いで育て、世界で殆ど例が無いというホッキョクグマの人工飼育に挑みました。ピースの愛くるしい映像がNHKで何度も公開され評判になりましたが、11月21日の「NHKアーカイブス」の愛媛県立とべ動物園飼育員主任、高市敦広さんの話が印象的でした。(その2)

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高市敦広さん「あと一つ、私は人間ですから、やることが間違っていないとは限らないんですね。ですから、朝晩、神様にピースの無事を祈って、私がやることが間違いでありませんようにとお願いしてきています。それは10年経った今でも変わらず同じスタンスでいます。」
(続く)

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2009年11月22日 (日)

愛媛県立とべ動物園の白くま(ホッキョクグマ)「ピース」は、誕生直後に母グマから育児拒否され、飼育員の高市さんが、家に連れ帰り、母親代わりとなって愛情を注いで育て、世界で殆ど例が無いというホッキョクグマの人工飼育に挑みました。ピースの愛くるしい映像がNHKで何度も公開され評判になりましたが、11月21日の「NHKアーカイブス」の愛媛県立とべ動物園飼育員主任、高市敦広さんの話が印象的でした。(その1)

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高市敦広さん「人間でも、動物でもそうですし、その子が何を求めているかという事と、何を必要としているかという事と、参考書というものは別の物ですから、今何を求めているかをその時、判断してやっていかなければならないと思うのです。

ですから、私がピースを預かった時、“計画を立てない”という計画を立てたのですね。
先々の事までいちいち計画を立てていけば、その計画に合わそうとして無理をさせると思うんです。
それはしたくない。
初めてのことをするのに計画なんて立てられる訳はないやと思って、“計画を立てない”計画でいこう、そのかわり、良く観察して何を求めているかという事を、その時々で判断してやって行こう、という事を心がけた、という事。
あと、一つは。」
(続く)

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2009年11月21日 (土)

「徹子の部屋」(テレビ朝日)11月12日の放送は11月10日に96歳で亡くなられた森繁久彌(もりしげひさや)さんが出演された時の番組回顧でした。(その7)「いつ、死が来るか、そんな事は余計なこと。そんな事は一切考えない。いかに生きていくか、という事を考えて生きていく。」

7)1984年2月2日の「徹子の部屋」森繁久彌(もりしげひさや)さんが当時、70歳の時。
森繁久彌さん「死ぬなんて事を考えちゃあいけない、生きている間は、この次は何だ。
明日は何だ、と思っている。
そして突如として死はやってくる。
それは逆らえない。
その時、死ねば良い。
いつ、死が来るか、そんな事は余計なこと。
そんな事は一切考えない。
いかに生きていくか、という事を考えて生きていく。
何でもないことですけどね。本当に真理をうがっていますね。」
(森繁久彌さんの項、終わり)

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2009年11月20日 (金)

「徹子の部屋」(テレビ朝日)11月12日の放送は11月10日に96歳で亡くなられた森繁久彌(もりしげひさや)さんが出演された時の番組回顧でした。(その6)「萩原朔太郎(はぎわらさくたろう) “利根川のほとり”」

6)2001年2月2日放送の「徹子の部屋」、森繁久彌(もりしげひさや)さんが87歳の時。 
森繁久彌(もりしげひさや)さん「私、ふっと思いだしたんだけど、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)という詩人が“利根川のほとり”という詩を書いている。

きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむるすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に來り石投げてあそびくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

といういい詩ですね。」 

黒柳徹子「こういうのって、ある程度年代にならないと分からないって事がありますよね。」 
森繁久彌さん「もう友達が沢山行きましたから、向こうへ。それが皆、おいで、おいでって言いますからね。
それに逆らって生きているようなもんですけど。」

著者注:萩原朔太郎には次のような詩もあります。
“旅上”
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
(続く)

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2009年11月17日 (火)

「徹子の部屋」(テレビ朝日)11月12日の放送は11月10日に96歳で亡くなられた森繁久彌(もりしげひさや)さんが出演された時の番組回顧でした。(その5)「流れ去った水の方を見て、あれもこれもって残念がっていたってもですね、もう、お終(しま)いは、お終いなんですからね。」

5)1986年2月3日放送の「徹子の部屋」、森繁久彌(もりしげひさや)さんが72歳の時。
黒柳徹子「私が芸能界に入りまして、最初にお目にかかった、共演させて頂いたのが森繁さんだったのです。
あの頃は本当にね、綺麗な女優さんを周りにお置きになって、皆が先生、先生っていう風な感じで、わあ、凄いんだなあって、私がまだ20歳ぐらいで、考えてみたら(森繁さんが)まだ40歳ぐらいなのね・・・」 
森繁久彌「僕が?」 
黒柳徹子「あの頃の事を振り返って考えてみて、どうです?」 

森繁久彌「全然振り返らないです。」 
黒柳徹子「あ、振り返らない・・・」 
森繁久彌「ええ、もう一切過去の事は、昨日の事でも聞いてください。全然知らないね。」 笑う黒柳徹子さん 

森繁久彌「ええ、健康に生きる事は忘れる事だと思いますね。」 
黒柳徹子「それぐらい、前向きに生きて行きたいってこと・・・」 

森繁久彌「そうですね。それで流れて来る水ですから、水に向かって立っていたいですよね。
たとえ、幾らか押し流されても。

流れ去った水の方を見て、あれもこれもって残念がっていたってもですね、もう、お終(しま)いは、お終いなんですからね。
水に向かって立っていたら、おおきな杭(くい)が流れてきたり、時々、アンパン何かでも・・・
いや、そんな事は、ともかく、いずれにしても、流れに向かって立っていたいという事ですね。」
(続く)

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2009年11月15日 (日)

「徹子の部屋」(テレビ朝日)11月12日の放送は11月10日に96歳で亡くなられた森繁久彌(もりしげひさや)さんが出演された時の番組回顧でした。(その4)「成功して満足するのではない。満足した事を成功というのだ、といういい格言がありますがね。」

4)1980年5月15日放送。森繁久彌(もりしげひさや)さんが当時、67歳の時。
森繁久彌さん「(NHKに入ってから)それからね、遅まきながら一生懸命、勉強しましたよ。
勉強というものはしなければいけないんだと思ってね。
恥ずかしい晩年の勉強ですがね。」 
黒柳徹子さん「どんな事を勉強されました?」 

森繁久彌さん「歴史を先ず、第一にね。中国に行ったら中国の歴史を知らなきゃおかしいしね。兎に角、一生懸命勉強して、人の3倍働けば、この馬鹿にも神がチャンスを与えるだろう、と。まあ、何でもかんでも、やらしてくれって、丁度、今の黒柳さんみたいなもので、何でもやらしてくれって。」
「・・・だから、成功して満足するのではない。満足した事を成功というのだ、といういい格言がありますがね。私は、ちっとも成功というものはないんですけど、今日はこれ満足出来たから、今日の客に満足出来たから、ああ今日は成功だった、という風にしか思わないですね。」
(続く)

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2009年11月14日 (土)

「徹子の部屋」(テレビ朝日)11月12日の放送は11月10日に96歳で亡くなられた森繁久彌(もりしげひさや)さんが出演された時の番組回顧でした。(その3)「でもそんな人にも、神様は一遍はチャンスをくれますよね。そのチャンスを逃がさなければ良いよね。」

3)1980年5月15日放送。森繁久彌(もりしげひさや)さんが当時、67歳の時。 

黒柳徹子「どうして、そんなに駄目な子だったんですか?」 
森繁久彌「まあ何て言うんですかね、気が弱いし、あんまり本気で勉強もしないし、ね、どうして生きていくかも知らないし。

でもね、僕はそういう人、一杯いると思うんだ、世の中に。でもそんな人にも、神様は一遍はチャンスをくれますよね。そのチャンスを逃がさなければ良いよね。」 

黒柳徹子「それは森繁さんは何でしたか?そのチャンスは?」 
森繁久彌「やっぱり、満州に行ったことでしょうね。」 
黒柳徹子「その時、NHKのアナウンサーとして満州にいらした。」
(続く)

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2009年11月13日 (金)

「徹子の部屋」(テレビ朝日)11月12日の放送は11月10日に96歳で亡くなられた森繁久彌(もりしげひさや)さんが出演された時の番組回顧でした。(その2)「オホーツクの舟唄(「知床旅情」原曲)(2)

前日のブログで森繁久彌(もりしげひさや)さんが唄った「オホーツクの舟唄(「知床旅情」原曲)」の全歌詞を掲載します。 歌詞は1)起、2)承、3)転、4)結 になっています。

前セリフ: 

  何地(いずち)から吹きすさぶ朔北(さくほく)の吹雪よ
  わたしの胸をさすように
  オホーツクは今日も海鳴りの中に
  明け暮れてゆく
  父祖(ふそ)の地のクナシリに
  長い冬の夜があける日を
  白いカモメが告げるまで
  最涯(さいはて)の茜(あかね)の中で わたしは立ちつくす
  何故か 眼がしらの涙が凍るまで

1)オホーツクの海原 ただ白く凍(い)て果て
  命あるものは 暗い雪の下
  春を待つ心 ペチカに燃やそう
  哀れ東(ひんがし)に オーロラ哀(かな)し

2)最涯(さいはて)の番屋に 命の火チロチロ
  トドの鳴く夜は いとし娘が瞼(まぶた)に
  誰に語らん このさみしさ
  ランプの灯影に 海鳴りばかり

3)スズランの緑が 雪解けに光れば
  アイヌの唄声 谷間にこだます
  シレトクの春は 潮路(しおじ)に開(あ)けて
  舟人(ふなびと)の腕(かいな) 海に輝く

4)オレーオレー オーシコイ 沖の声 舟歌
  秋あじだ エリャンサ 揚げる網ゃ大漁
  霞(かす)むクナシリ 我が故郷
  何日の日か詣(もう)でん 御親(みおや)の墓に
  ねむれ静かに

http://movie1.search.biglobe.ne.jp/video/watch/326daa3d7b2a1207

倍賞千恵子さんの「オホーツクの舟唄」が聴ける動画サイトです。森繁さんの独特の風情とは違った、哀愁と熱情を女優のキャリアを活かして情感豊かに唄っています。「あざみの唄」や「琵琶湖周航の唄」等の名曲も聴けます。
(続く)

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2009年11月12日 (木)

「徹子の部屋」(テレビ朝日)11月12日の放送は11月10日に96歳で亡くなられた森繁久彌(もりしげひさや)さんが出演された時の番組回顧でした。(その1)「オホーツクの舟唄」(「知床旅情」の原曲)

1)「徹子の部屋」の初回放送は、1976年2月2日で、最初のお客様は森繁久彌(もりしげひさや)さん(当時62歳)で、黒柳徹子さん42歳でした。

2)黒柳徹子さん「(緊張した声で)今日はタキシードを着てお招きしております。」 

森繁久彌さん「ほう、タキシード・・・(言いながら、黒柳徹子さんの首下に手をやり、その手をさーと下に滑らせ、胸をさっと触るーように見えたー森繁久彌さん、瞬間的に胸を手で覆い、かばう黒柳徹子さん)おお(会場から笑い)・・・」

「(黒柳徹子さんに)どうぞお座り下さい。」 
「貴女のスマイルがいいですね。この笑いますというのは顔の筋肉を7つしか使わないそうです。
ヒステリーをお起こしになります時は164の筋肉が瞬間に緊張するんだそうです。
非常に疲労しまして毒素も吐くそうです。(笑う黒柳徹子さん)
たった7つの筋肉で主人がどんなに気持ち良く外出出来るか・・・」

3)アントニオ・古賀さんのギターで「オホーツクの舟唄」(「知床旅情」の原曲)を歌う森繁久彌さん。

最果(さいは)ての番屋に、命の灯(ひ)、チロチロ。
トドの鳴く夜(よる)は、いとし娘(こ)が瞼(まぶた)に。
誰(たれ)に語らん、
この寂(さみ)しさを、
ランプの灯影(ほかげ)に海鳴りばかり。

オレオレホーシコイ、沖の声、舟唄。
アキアジダエリヤンサ、揚げるハニャ、大漁。
霞(かす)む国後(くなしり)、我が故郷(ふるさと)。
いつの日か、詣(もう)でん、御親(みおや)の墓に。
眠(ねむ)れ、静かに。
(続く)

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11月10日のテレビ朝日の“徹子の部屋”に女優の大竹しのぶさんが出演されましたが、大竹さんと黒柳には、顕著な共通点があることが判明!それは二人とも、「片付け」が苦手であること。整理べたの私(ブログ著者)も大いに共感したお二人の話をどうぞ!(その3)

黒柳徹子「ちなみにお母様は、お片づけは?」 
大竹しのぶ「あ、上手です。キチンと。だから、電池とか、それこそ切手とか、母の部屋に買って置いて、(笑い)そうするともう絶対あるんで・・・」 
黒柳徹子「そう、私ね、前、母の家にいくと、鋏(はさみ)は、鋏って(ちゃんと)なってるのよ。どうしてこういう風になってるのって訊いたら、うん、要る時、困るからって言うから、そうよねって。」 

大竹しのぶ「(私)しょっちゅう探してるの」 
黒柳徹子「私も探してます(笑い)」 
黒柳徹子「人生、ほとんど、それで・・・(笑い)要するに、私も貴女も、そうなんですけどね、(手を動かしながら)元に戻せば何でもないのよ、使った後、こうやって。(手を手前に動かす)」 
大竹しのぶ「今日から、そうします。」 
黒柳徹子「そうしましょう!」(二人で笑う)
(大竹しのぶさんの項、終わり)

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2009年11月11日 (水)

11月10日のテレビ朝日の“徹子の部屋”に女優の大竹しのぶさんが出演されましたが、大竹さんと黒柳には、顕著な共通点があることが判明!それは二人とも、「片付け」が苦手であること。整理べたの私(ブログ著者)も大いに共感したお二人の話をどうぞ!(その2)

黒柳徹子「もうね、物の整理がつかないですねー」 
大竹しのぶ「本当ですか?よかったあ、じゃあ、こうゆう資料とか、どっかに行っちゃったり」 
黒柳徹子
「ですから私は、“徹子の部屋”で重要なものは、私に渡すと、“返して欲しい?”って訊くの、“返して欲しい”って言わないなら持って帰るけど、“返して”って言うなら、私、ここに置いていくって言うぐらい(笑い)」 

大竹しのぶ「本当ですか!小物、文房具類は私、何個うちから出てくるって感じ・・・(笑い)」 
黒柳徹子「ええ、色んな物、ほとんど毎日、探し物で人生を送っているって感じ」 
大竹しのぶ「よかったあ、私も一緒!(笑い)」 
黒柳徹子「そうなの」(笑い) 
大竹しのぶ「無駄ですねー」 
黒柳徹子「ほんと、キチンとしてればねえ」 
大竹しのぶ「ほんと」 

黒柳徹子「だからね、キチンとした人になろうって毎日思うの私、ねえ、これはここに置いて、(手を左右に動かしながら)これはここに置いてって、する時もあるんですよ。切手はここに全部、50円、80円ってキチンと、するんですけど、その後がいけないのね、使った後、そこに戻せば良いんですけど、そこの辺に置いておくと、どんどん、こうなっちゃう(手で山を作る)・・・」
(続く)

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2009年11月10日 (火)

11月10日のテレビ朝日の“徹子の部屋”に女優の大竹しのぶさんが出演されましたが、大竹さんと黒柳徹子さんには、顕著な共通点があることが判明!それは二人とも、「片付け」が苦手であること。整理べたの私(ブログ著者)も大いに共感したお二人の話をどうぞ!(その1)

大竹しのぶ「私も片付けられないんです。」 
黒柳徹子「片付け、駄目?あら嬉しい私もね、蜘蛛の巣城なの」 
大竹しのぶ「えー本当ですか!じゃあ、物とか、直ぐ失くします?」 
黒柳徹子「もう、探すの、大変!ほとんど」 

大竹しのぶ「私も!人生、探している時間、一杯ありますよ。」 
黒柳徹子「でね、大事な者に付けといて、こっちでビ、ビ、とボタンを押すとそっちで、ピ、ピ、と音がするってゆうのを或る日見つけたの、ところが、1つ2つならいいんだけど、一杯つけちゃうと、ピ、ピ、いっても何だか分からなくなっちゃって、結局、それも駄目ってなって」 (笑う大竹しのぶ)
(続く)

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2009年11月 8日 (日)

脳の老化を吹っ飛ばせ!10月20日のNHK総合テレビジョン「プロフェッショナル仕事の流儀」は、脳活用法スペシャルー「脳のアンチエイジングー脳の老化防止」、「脳をいつまでも若く」がテーマでした。(その6)細々(こまごま)とした事を人任せにしない。

11)「ミシェランガイド」で最高級の3つ星に輝く銀座の「すきやばし次郎」の寿司職人・小野二郎さん(83歳)は悠然と寿司を握るだけではない。
開店前、店内を自分で隈なくチェックして廻る。
椅子の並びを確認する。
時には自分で椅子を動かして揃える。
部屋のコーナーの花に目をやる。
水盤の水に手を添える。

更に閉店後の掃除の時も自ら、椅子やテーブルを運ぶ様子をテレビカメラが映す。
小野さんが笑いながら言う。
「これ、(テレビに)映っているから初めてやるみたいでしょう。いつも、俺がやってるんだよ、これ。」

12)実はここに脳科学者・茂木健一郎さんが注目する極意があると言う。
「脳のアンチエイジング(老化防止)には細々としたことを人任せにしないことが大切である」、と茂木さんは説く。
(続く)

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2009年11月 7日 (土)

脳の老化を吹っ飛ばせ!10月20日のNHK総合テレビジョン「プロフェッショナル仕事の流儀」は、脳活用法スペシャルー「脳のアンチエイジングー脳の老化防止」、「脳をいつまでも若く」がテーマでした。(その5)指先を使うことによって、脳を刺激する。

9)「ミシェランガイド」で最高級の3つ星に輝く銀座の「すきやばし次郎」の寿司職人・小野二郎さん(83歳)は1日500貫の寿司を握るが、この時の微妙な力加減と繊細な指使いにもアンチエイジング(老化防止)の秘密があると番組は言う。

10)小野二郎さんの極上の鮨(すし)は、微妙な力加減と繊細な指使いによって生まれる。
手の指は、「脳の出先機関」と呼ばれる。
触覚のセンサーが密集していて、“熱い”、“堅い”、“ザラザラしている”等、多くの感覚情報が脳に送られる。
そして、手の指からの情報を受け取る脳のエリアは、足の裏からの情報を受け取るエリアよりも更に広い。
指は、体の部分としては小さくても、脳を幅広く刺激するウルトラツールなのです。この部分を刺激し続ける事が脳の老化防止に役立っているのです。

小野二郎さんの日常を撮影したVTRを検証した脳科学者・茂木健一郎さんは更に、意外なポイントに注目した。
(続く)

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2009年11月 5日 (木)

脳の老化を吹っ飛ばせ!10月20日のNHK総合テレビジョン「プロフェッショナル仕事の流儀」は、脳活用法スペシャルー「脳のアンチエイジングー脳の老化防止」、「脳をいつまでも若く」がテーマでした。(その4)「ミシェランガイド」で最高級の3つ星に輝く銀座の「すきやばし次郎」の寿司職人・小野二郎さん(83歳)の場合、毎日約4kmを40分で歩く事によって脳に様々な刺激を与え、脳を活性化させている、と考えられる。

7)では体を動かすという事の何処が“脳の老化の防止”に良いのか?
例えば、歩くという運動、足の裏から地面の凹凸や感触の様々な感覚情報が足の神経を通じて脳の“体性感覚野”に送られる。
そしてその情報が処理されて“前頭葉(ぜんとうよう)”にある“運動野(うんどうや)”に伝えられ、そこから足に適切な動きをするよう指令が伝えられます。

つまり体を動かす事によって脳に様々な刺激を与え、脳を活性化させることが出来ると考えられているのです。

8)脳科学者・茂木健一郎さんは言っています。
「折角良い運動でも、時々やるのではなくて、楽しむ事が出来る程度の適度な運動を、毎日やる習慣を身につけることが“脳のアンチエイジング(老化防止)”の為には一番いいことです。」
(続く)

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2009年11月 4日 (水)

脳の老化を吹っ飛ばせ!10月20日のNHK総合テレビジョン「プロフェッショナル仕事の流儀」は、脳活用法スペシャルー「脳のアンチエイジングー脳の老化防止」、「脳をいつまでも若く」がテーマでした。(その3)「ミシェランガイド」で最高級の3つ星に輝く銀座の「すきやばし次郎」の寿司職人・小野二郎さんは、83歳であるが、店に通うのに、東京・中野の自宅から新宿駅まで約4kmを40分で歩く。

5)銀座の「すきやばし次郎」の寿司職人・小野二郎さん(83)の日常を検証した脳科学者・茂木健一郎さんは、小野さんのアンチエイジングの極意を適度に体を動かす事だと気づきます。

6)小野さんは、店に通うのに、東京・中野の自宅から新宿駅まで約4kmを40分で歩く。
4kmの道のりは成人男子で50分かかる距離であるが、40分はかなり早いペースである。

そして週に1度は銀座の店まで2時間かけて歩く。
テレビ画面でみる小野さんは、通勤姿のサラリーマンのように、片手に鞄を持ち、背筋をピンと伸ばし、やや大またでスタスタと歩いている。
(続く)

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2009年11月 3日 (火)

脳の老化を吹っ飛ばせ!10月20日のNHK総合テレビジョン「プロフェッショナル仕事の流儀」は、脳活用法スペシャルー「脳のアンチエイジングー脳の老化防止」、「脳をいつまでも若く」がテーマでした。(その2)「ミシェランガイド」で最高級の3つ星に輝く銀座「すきやばし次郎」の寿司職人・小野二郎さんは、83歳の今も毎日付け場に立ち、1日500貫の寿司を握ります。

3)ではどうすれば脳の萎縮に歯止めをかけ、若々しい脳でいられるのか?
番組では、世界的に有名なレストランガイド、「ミシェランガイド」で最高級の3つ星に輝く銀座「すきやばし次郎」の寿司職人・小野二郎さん(83)さんにその秘密を探っています。

小野さんは、83歳の今も毎日付け場に立ち、1日500貫の寿司を握ります。
小野さんの脳はどうなっているのか?
その秘密を探る為、脳科学者・茂木健一郎氏が小野さんを訪ねています。
“定期的に脳の検査を受けている”という小野さんが、茂木さんに保管している“脳の画像写真”を見せてくれました。

4)今年8月に撮った脳のMRI画像を見た茂木さんは、平均的な80代の画像に比べて、小野さんの画像は、脳の隙間が少ない事に気づきます。

茂木さん「脳を作るのは、毎日の習慣ですが、小野さんの習慣がとても脳に良いことだと思います。」
そして茂木さんは小野さんの日常を撮影したVTRを検証します。
(続く)

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2009年11月 2日 (月)

脳の老化を吹っ飛ばせ!10月20日のNHK総合テレビジョン「プロフェッショナル仕事の流儀」は、脳活用法スペシャルー「脳のアンチエイジングー脳の老化防止」、「脳をいつまでも若く」がテーマでした。(その1)「何歳になっても脳を若々しく保つ事は可能です。」

1)気鋭の脳科学者・茂木健一郎氏は番組で言っています。「何歳になっても脳を若々しく保つ事は可能です。」

2)脳の老化とはー

脳の中には、およそ1千億個の神経細胞があり、それらが繋(つな)がってネットワークを作っている。このネットワークを通じて、神経細胞から神経細胞へ信号が伝わるのが、脳の活動です。

年齢を重ねると、神経細胞の死滅や使われなくなったネットワークが縮小・消滅して、脳は少しずつ萎縮(いしゅく)していくと考えられています。

だが、神経細胞同士のネットワークは、一旦働きが弱まっても、使うことによって脳が活性化し、再び強化される可能性があります。

また、脳の使い方次第で、老化そのものを遅らせることも可能だと考えられています。

(続く)

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2009年11月 1日 (日)

10月23日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、10月21日に亡くなった女優の南田洋子さんが、過去「徹子の部屋」に出演された中から、「追憶・さん」として映像で在りし日の彼女を偲んでいました。(その6)「人生、生きちょるだけで丸儲け」

2006年2月8日放送(当時、南田洋子さん72歳)の「徹子の部屋」より。
黒柳徹子「南田さんはNHKの朝のテレビ小説の“わかば”の中で“のぶ”というおばあちゃんをおやりになったんですけど、“人生、生きている事は”」 

南田洋子「人生、生きちょるだけで丸儲け」
黒柳徹子「ああ、そうか」 

南田洋子「それをね、災害時に、新潟の方の方が言うんですよ。・・・」
「もう泣いちゃった。」 
黒柳徹子「ああ、そういう」 
南田洋子「引用してね」 

黒柳徹子「人生、生きちょるだけで丸儲け・・・」
南田洋子「私も、まったく、そう思ってる。」 
黒柳徹子「でも、そういう風に仰っていらっしゃる方がいらしたの・・・」 
南田洋子「ええ、随分、沢山。」
(南田洋子さんの項、終わり)

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