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2009年12月

2009年12月31日 (木)

12月31日のNHK教育テレビジョン「心の時代」(5:00-6:00)は2009年7月5日の「樹洩陽舎(こもれびしゃ)」舎幹・栖雲(すくも)幸雄さん(63歳)のアンコール放送でした。(その1)

栖雲(すくも)幸雄さん(63歳)。大学卒業後、僧侶となった栖雲さんは、30代の頃、絶望の末、放浪生活を送る。その時、公園の「木もれ日のあたたかさが身にしみた」という。生きる目標を失い、行き場に迷う若者たちや仕事を失った人々の為に「樹洩陽舎(こもれびしゃ)」を作り、相談にのる栖雲(すくも)幸雄さんが絶望から再生した栖雲さんが語る人間の心の成長の機微。
栖雲(すくも)幸雄さん「“必至(ひっし)”という言葉があります。私は之を、“必ずいつか”、と読んでいます。
私は高校時代、親戚の結婚式にも出れないぐらい不良だったんですが、その17歳の時、私の父が酔っ払って、酒の力を借りて“俺はお前を信じとるぞ”と言ってくれたんですね。
今、63ですけど、いよいよその言葉が蘇(よみが)えってくるんですね。

うちに(相談に)来る人たちはそういう言葉に出会ってないんです。
“お前は駄目な子だ”、ばかり言われて、“信じてるよ”と誰からも言われた事がない子供達が多いんですね。
そういう子達に、誰か1人でも“君を信じているよ”と声をかけてあげれば、どれだけ居場所を見つけられるのではないかと思ったりするんですね。」
(続く)

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2009年12月30日 (水)

藤原紀香・御用達マル秘「美のアイテム」&「健康グッズ」。12月27日の日本テレビ波乱爆笑に女優の藤原紀香さんが出演し、彼女愛用の「美のアイテム」&「健康グッズ」を披露しました。(その4)

藤原紀香さんが室内で使っているのが四角いクッションのようなトレーニング器具「VERNESTバネス」。@12,800円です。
ルームランナーのようにこの上で足踏みしながら劇の台本を覚えるということでした。

肌に良いということでお気に入りなのが秋葉原の中華料理店、銀座・鹿鳴春(ろくめいしゅん)秋葉原UDX店で、フカヒレ姿煮@12,000円です。

最後に紹介するのが、「KIYOE」というオーストラリアからの輸入オリーブオイルジュース@4,515円500ml(455g)で、藤原紀香さんは、これを焼き魚、サラダ、バニラアイスにもかけて使うそうです。
(藤原紀香さんの項、終わり)

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2009年12月29日 (火)

藤原紀香・御用達マル秘「美のアイテム」&「健康グッズ」。12月27日の日本テレビ波乱爆笑に女優の藤原紀香さんが出演し、彼女愛用の「美のアイテム」&「健康グッズ」を披露しました。(その3)

藤原紀香さんが続いて紹介したのが、白い腹巻キャミソール@3,675円で寝る時や外出時にもインナーとして冷え対策に着ます。 

そして寝る時に使う、エアーサポートピロー(枕)「レ・ムールソフト」@10,800円で、その日の体調に合わせて空気の弁によって枕の高さが変えられます。
(続く)

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2009年12月28日 (月)

藤原紀香・御用達マル秘「美のアイテム」&「健康グッズ」。12月27日の日本テレビ波乱爆笑に女優の藤原紀香さんが出演し、彼女愛用の「美のアイテム」&「健康グッズ」を披露しました。(その2)

藤原紀香さんが番組で紹介した「美のアイテム」&「健康グッズ」です。

1)岩手県産、「ほおずきんちゃん」600円(9,10月のみ)ビタミン豊富、コレステロール防止、美肌効果、整腸作用 

2)減塩紀州梅「梅ほのか」10個いり2,000円 

3)「野菜と果物の発酵エキス」V&F-FE@16,800円、胃腸のトラブルに効果 

4)アミノコラーゲン プレミアム@4,725円、缶に入った粉末状のフィッシュ(魚)コラーゲンで藤原紀香さんは色んな物に入れて摂取するということです。肌がぷるぷるになり、髪や爪が直ぐ伸びるそうです。
(続く)

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2009年12月27日 (日)

藤原紀香・御用達マル秘「美のアイテム」&「健康グッズ」。12月27日の日本テレビ波乱爆笑に女優の藤原紀香さんが出演し、彼女愛用の「美のアイテム」&「健康グッズ」を披露しました。(その1)

番組のキャスター「悲しい時ってあるんですか?」 
藤原紀香
「悲しい時は思いっきり号泣しますね。
思いっきり号泣して、それで夜寝る前に、自分を思いっきり誉(ほ)めてあげるの。
今日凄い失敗したけど、とか、今日、凄いあれだったけど、でも明日は絶対、又、良くなるから、とか。

昔は凄い、反省ばかりしていたの、でも寝る前に反省ばかりすると、次の日に、中々、起き上がれないんですね。
だから自分の良いところを少しでも誉めてあげたりとか、でも今日頑張ったよ、とか言ってあげて平和な気分になって寝て、そうすると次の日は、やっぱり上向きになっているの。

だから、思い切り落ち込む時は落ち込むし、泣く時は泣くけど、なるべく次の日に引きずらないようにしますね。」
(続く)

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2009年12月23日 (水)

12月20日のNHK総合テレビジョン“課外授業ようこそ先輩”に公認会計士・経済評論家の勝間和代さんが出演されました。ベストセラー作家でもある勝間和代さんのお父さんは東京都葛飾区で町工場を経営されていましたが、一番下のお嬢さんが小学校5年生でもあるが、28年前に卒業した母校の東京都葛飾区立住吉小学校で、どのような授業をされるのか、楽しみにして拝見しました。(その3)

生徒一人一人が自分の得意な分野を見つけたら、勝間和代さんは、次に③その「得意技のコツを周りの人に教える」ように言います。
ポイントは自分の得意な事で皆にも喜んでもらう事です。

例えば或る子は、「私は読書が得意なので、皆の為に、自分に合った本の選び方と、楽しい読み方を教えます。」
別の子は、「僕は遊びを考える事が得意なので、皆の為に、面白い遊びを考えて遊べるコツを教えます。」
しかし得意技が見つからない生徒も沢山いました。
勝間和代さんは、そういう生徒達を「合宿をしましょう」と別室に連れて行って、一人一人に話をして得意技を見つけていきます。
楽しい時間に給食等の“食べる事”が多かった女の子は、「皆の為に、好き嫌いなく、おいしく給食を食べるコツを教える」ことになりました。

こうして全員が自分の得意技を見つけて、皆の前で発表していきました。

授業の最後に勝間和代さんは、
「自分の得意な事を人の為に生かし、皆に喜ばれる人、“有難う”と言われる人になって欲しいな」と語りかけました。
(勝間和代さんの項、終わり)

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2009年12月21日 (月)

12月20日のNHK総合テレビジョン“課外授業ようこそ先輩”に公認会計士・経済評論家の勝間和代さんが出演されました。ベストセラー作家でもある勝間和代さんのお父さんは東京都葛飾区で町工場を経営されていましたが、一番したのお嬢さんが小学校5年生でもあるが、28年前に卒業した母校の東京都葛飾区立住吉小学校で、どのような授業をされるのか、楽しみにして拝見しました。(その2)

勝間和代さんは、事前に皆に、1週間、起きてから寝るまで、どんなことをして過ごしたか、細かく書き出しておく宿題を出していました。

そして、①勝間さんは、その1週間の時間の中で、ワクワクして楽しかった事を赤く、塗りつぶすよう、赤いサインペンを皆に渡します。
それが、自分が何をしている時楽しいのか、知ることのステップになります。
パソコンで音楽を聴いている時、友達とおしゃべりをしている時、ランニングをしている時、人により様々です。

②次に勝間さんは6人1組になって、順番に1人の人を客観的な視点から、相手の良いところを積極的に探し、ほめられた人はひたすら、それを書き留めるよう言います。
ルールは絶対にけなさない事。
その時、出来るだけ具体的にほめるよう勝間さんは指導します。
例えば、「スポーツが出来る」、は、具体的に足が速い。
「明るい」、は、いつも笑っている、という具合です。
相手の良いところを積極的に探す事は、自分の良いところを積極的に探す勉強でもある、と勝間さんは考えるのです。
友達からのほめ言葉の中に、自分では気づいていない得意な事が隠れている事もあります。
(続く)

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2009年12月20日 (日)

12月20日のNHK総合テレビジョン“課外授業ようこそ先輩”に公認会計士・経済評論家の勝間和代さんが出演されました。ベストセラー作家でもある勝間和代さんのお父さんは東京都葛飾区で町工場を経営されていましたが、一番下のお嬢さんが小学校5年生でもある勝間和代さんが、28年前に卒業した母校の東京都葛飾区立住吉小学校で、どのような授業をされるのか、楽しみにして拝見しました。(その1)

授業を受けるのは、6年1組の35人です。
「皆がこの先、例えば、18や22で就職する若い状態の時に、どれくらい失業率が高いかというと、実は10%を越えています。」
いきなり難しそうな話で始まった2日間の授業のテーマは、
「自分の得意な事を見つける!」でした。
先ず、「あなたの得意技は何ですかと聞かれて、はい私は○○が得意ですと答えられる人?」と生徒に問いかけますが、誰も手を上げません。
(続く)

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2009年12月19日 (土)

「窓口営業は午後3時まで」の銀行の常識を破り、午後5時まで窓口が開いている「りそな銀行」に感心していたら、12月7日のテレビ東京の「カンブリア宮殿」に、りそなホールディングス会長の細谷英二(ほそや えいじ)氏が出演し、その経緯が分かった。何と細谷英二氏は、58歳で金融界とは無縁の鉄道マンから転身し、「だれがやっても再建できない」と言われた「りそな銀行」を再建したのである。(その7)

2008年9月、世界の金融界を襲ったリーマンショックが起きる。企業の株価が軒並み暴落し、日本の3大メガバンク(三菱UFJ,みずほ、三井住友)も保有株式の下落で2,000億円以上の赤字を計上する。
しかし、大企業との「株式の持ち合い」を解消していた「りそな」は、株式暴落の影響を受けず、ひとり、1,239億円の黒字を計上するのである。

「大幅な取引先の株の売却自体が銀行の取引基盤を棄損する。」と、「株式の持ち合い」解消に強く反対した廣富靖以氏も(12月18日のブログ参照)、次のように番組で語っている。
「会長の判断は間違っていなかったですね、と(細谷英二会長に)申し上げた。決断するに当たっての、決意と覚悟そして勇気が細谷さんにはあった。
我々(生え抜きの銀行員)には、その勇気と決意と覚悟が欠けていた。」
(続く)

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2009年12月18日 (金)

「窓口営業は午後3時まで」の銀行の常識を破り、午後5時まで窓口が開いている「りそな銀行」に感心していたら、12月7日のテレビ東京の「カンブリア宮殿」に、りそなホールディングス会長の細谷英二(ほそや えいじ)氏が出演し、その経緯が分かった。何と細谷英二氏は、58歳で金融界とは無縁の鉄道マンから転身し、「だれがやっても再建できない」と言われた「りそな銀行」を再建したのである。(その6)

銀行が取引先との「株式の持ち合い」を解消することは、取引先と縁を切るに等しい。
生え抜きの銀行員達は細谷英二氏の考えに猛反対した。
当時、営業の幹部として、細谷英二氏の方針に異を唱えた廣富靖以氏(現、りそな銀行副社長)もその1人であった。
廣富靖以氏「大幅な取引先の株の売却自体が銀行の取引基盤を棄損する。」 

しかし細谷英二氏は譲らなかった。
細谷英二氏「メガバンクの背中を見てきた営業から、(りそな銀行は)中小企業向けの分野でNo.1の銀行になろうと・・・」 
こうしてりそなは1兆円に及ぶ持ち合い株を売却する。 
そしてその後、2008年9月、世界を揺るがす大事件が起きる。
(続く)

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2009年12月17日 (木)

「窓口営業は午後3時まで」の銀行の常識を破り、午後5時まで窓口が開いている「りそな銀行」に感心していたら、12月7日のテレビ東京の「カンブリア宮殿」に、りそなホールディングス会長の細谷英二(ほそや えいじ)氏が出演し、その経緯が分かった。何と細谷英二氏は、58歳で金融界とは無縁の鉄道マンから転身し、「だれがやっても再建できない」と言われた「りそな銀行」を再建したのである。(その5)

りそなホールディングスの会長に就任した細谷英二氏はお客目線から数々の改革を断行する。
事務の効率化でお客の待ち時間を減らす。細谷英二氏「サービスの質と生産性の向上を両立させる挑戦を続ける。」

現場で銀行の常識を変えた細谷英二氏は更に大きな常識破りに出て行く。
しかしそれは銀行の経営基盤を根底から覆(くつがえ)すものだった。
素人会長の決断に生え抜きの銀行員達は猛反対する。
「我々(銀行員)のストライクゾーンから大きく外れた球が飛んでくる。」 
それは大企業重視からの脱却であり、その際たるものが、銀行と取引先の企業がお互いの株式を持ち合う、「株式の持ち合い」の解消だった。
(続く)

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2009年12月16日 (水)

「窓口営業は午後3時まで」の銀行の常識を破り、午後5時まで窓口が開いている「りそな銀行」に感心していたら、12月7日のテレビ東京の「カンブリア宮殿」に、りそなホールディングス会長の細谷英二(ほそや えいじ)氏が出演し、その経緯が分かった。何と細谷英二氏は、58歳で金融界とは無縁の鉄道マンから転身し、「だれがやっても再建できない」と言われた「りそな銀行」を再建したのである。(その4)

1997年に北海道拓殖銀行が経営破綻し、産業構造の変化の中、大手銀行は生き残りを賭け、次々に合併して4大メガバンクが誕生する。
そして2003年、この再編の波に乗り遅れた大和銀行とあさひ銀行が合併して出来たのが「りそな銀行」で、当時、「弱者連合」とも揶揄(やゆ)された。
2兆円の公的資金が注入され、実質国有化に近いものであった。

当時の竹中金融担当大臣は「りそな銀行」を再建できる人物を求め、経済財政諮問会議の牛尾治朗(ウシオ電機会長)氏に相談する。

牛尾治朗(ウシオ電機会長)「りそな銀行再建は過去の常識では無理。今までの枠にとらわれず自分で考える人でなければ・・・」 
そして牛尾治朗氏が推したのがJR東日本の副社長だった細谷英二氏だったのである。
こうして細谷英二氏は2003年、りそなホールディングスの会長に就任する。
(続く)

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2009年12月15日 (火)

「窓口営業は午後3時まで」の銀行の常識を破り、午後5時まで窓口が開いている「りそな銀行」に感心していたら、12月7日のテレビ東京の「カンブリア宮殿」に、りそなホールディングス会長の細谷英二(ほそや えいじ)氏が出演し、その経緯が分かった。何と細谷英二氏は、58歳で金融界とは無縁の鉄道マンから転身し、「だれがやっても再建できない」と言われた「りそな銀行」を再建したのである。(その3)

細谷英二(ほそや えいじ)氏は1968年東京大学法学部を卒業して日本国有鉄道(現JR東日本)に入社し、鉄道一筋のサラリーマン生活を送る。

累積赤字37兆円に達した国鉄の民営化を主張した「改革3人組」の参謀として裏方で支え、活躍する。
1987年、国鉄の分割民営化でJR東日本に移り、細谷英二氏は利用者目線に立った新しいサービスを次々に打ち出していく。

自動改札による人手の削減と改札の正確さを図る、ビューカード。
山形新幹線、成田エクスプレス、鉄道の枠を越えた駅ナカビジネスなど新規事業を手がけ、成功させ、2000年にはJR東日本の副社長になる。

一方金融界では、1997年に北海道拓殖銀行が経営破綻し、銀行は潰れないという神話は崩壊する。
(続く)

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2009年12月14日 (月)

「窓口営業は午後3時まで」の銀行の常識を破り、午後5時まで窓口が開いている「りそな銀行」に感心していたら、12月7日のテレビ東京の「カンブリア宮殿」に、りそなホールディングス会長の細谷英二(ほそや えいじ)氏が出演し、その経緯が分かった。何と細谷英二氏は、58歳で金融界とは無縁の鉄道マンから転身し、「だれがやっても再建できない」と言われた「りそな銀行」を再建したのである。(その2)

番組では「りそな銀行」と他の銀行の一つの違いとして、窓口業務をあげる。
他の銀行では、お客から「窓口」で受け取ったお金は、「2線」、「出納」、「為替」と廻り、再び「窓口」に伝票が戻ってくる。
だから、その間、お客は座って待つ事になる。

しかし「りそな銀行」では、「りそな銀行」が独自に開発した機械により、現金や伝票を「窓口」から後方部隊に廻さずに、お客の目の前で振込み等が機械で処理される。
僅か1,2分で全ての処理が終わるので、お客は処理が終わるまで座って待つ必要が無い。
そしてこの事は、1日の支店全体の締めが5分か10分で終了する事になり、5時まで営業しても、銀行員は5時10分過ぎには退社出来るのである。
(続く)

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2009年12月13日 (日)

「窓口営業は午後3時まで」の銀行の常識を破り、午後5時まで窓口が開いている「りそな銀行」に感心していたら、12月7日のテレビ東京の「カンブリア宮殿」に、りそなホールディングス会長の細谷英二(ほそや えいじ)氏が出演し、その経緯が分かった。何と細谷英二氏は、58歳で金融界とは無縁の鉄道マンから転身し、「だれがやっても再建できない」と言われた「りそな銀行」を再建したのである。(その1)

細谷英二氏の言葉。

「今日最善だった事が明日も最善ではない。」
「現場での一つ一つの積み重ねが“りそなファン”を増やす。」
「銀行の常識は世間の非常識だ。」
「お役所の目を非常に気にしている。」
「お客様の視点が欠けている。」 

番組キャスター村上龍「鉄道マンから、銀行に転身された時最初、銀行の行員の方達の反感とかは無かったんですか?」 

細谷英二「いや、それはありました。金融庁の回し者か、とか。」(笑い)
(続く)

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2009年12月12日 (土)

12月4日、NHK総合テレビジョン「生活ほっとモーニング・この人にトキメキっ!」に経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが出演されました。勝間和代さんについては既に何度も本ブログで取り上げていますが、12月4日の放送は彼女の今日の成功に至る迄の失敗、挫折が語られている興味深いものでした。(その9)【自分の幸せは、周りの人を幸せに出来た総量で決まる!~自分の力なんて2%~】

勝間和代さん
「大体、人間なんか、自分の心で、自分の失敗からしか学ばないものだということが、ようやく心底(しんそこ)理解出来た。」

番組の最後に勝間さんが書いた言葉が披露されました。
『自分の幸せは、
周りの人を幸せに出来た
総量で決まる!
~自分の力なんて2%~』 

勝間和代さん「之は、ここ1,2年ですね。
若い頃は“自分が自分が”で、今もそう見られていると思うんですけど、
自分が手柄独り占めで、自分の為に世界があるみたいな感覚だったんですが、
全然逆なんだなということが分かりまして、

世界の中で自分が生かされていて、ご飯一つとっても、こういうお仕事だって、周りの人の98%の力が無ければ、何も出来ないんだな、という事を、コツコツ学んでいった、と。」
(勝間和代さんの項、終わり)

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2009年12月11日 (金)

12月4日、NHK総合テレビジョン「生活ほっとモーニング・この人にトキメキっ!」に経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが出演されました。勝間和代さんについては既に何度も本ブログで取り上げていますが、12月4日の放送は彼女の今日の成功に至る迄の失敗、挫折が語られている興味深いものでした。(その8)【私が言えば言うほど、子供が反発するので、いかに、逆に、何も言わないで見守るのがコツだと、ようやく分かってきました。】

番組キャスター
「一番上のお嬢さん(19歳になります)とはどんな話をなさいますか?」 

勝間和代さん「何をしたいのか、どういう手助けが出来るのか、という事なんですが、兎に角、私が言えば言うほど、子供が反発するので、いかに、逆に、何も言わないで見守るのがコツだと、ようやく分かってきました。」 

勝間和代さん「(子供が勝間さんの本を読んで、勝間さんが言いたい事が分かってくれるようになったのは嬉しい事だけど、)私が一寸、愚痴り始めると、お母さん、ほら、三毒追放、と直ぐ言われるのは困っちゃうんですけど。」(笑い) 

番組キャスター「子供達に望むことは?」 
勝間和代さん
「後は、月並みですけど、優しい子ですね。私は本当に駄目なんですよ。人に対して気配りとか、心が分かるというのが・・・凄く訓練して、一生懸命頑張らないと分からないので、それをもっと、自然に分かるような子供達になって欲しいな、と。」
(続く)

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2009年12月10日 (木)

12月4日、NHK総合テレビジョン「生活ほっとモーニング・この人にトキメキっ!」に経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが出演されました。勝間和代さんについては既に何度も本ブログで取り上げていますが、12月4日の放送は彼女の今日の成功に至る迄の失敗、挫折が語られている興味深いものでした。(その7)【兎に角、自立ですね。自分でちゃんと手に職をつけて、自分1人の力で先ず生きられるようになって貰って】

勝間和代さん「家電製品を愛しています。私、洋服とかはあまり興味がないけど、家電売り場に行くと、うっとりしちゃいます。
女性が洋服をウインドウショッピングする感覚で、意味も無く家電売り場を、グルーと見て廻ります。
量販店に子供と一緒に行くと、(勝間さんが一生懸命見ているので)子供はつまらなさそうにしています。」 

番組キャスター
「お嬢さん(勝間さんには3人の娘さんがいらっしゃいます)にはどのように育って欲しいですか?」 

勝間和代さん
「兎に角、自立ですね。自分でちゃんと手に職をつけて、自分1人の力で先ず生きられるようになって貰って、それから出来れば、色々社会に貢献して貰ってお互いに生かしあうような形」
(続く)

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2009年12月 9日 (水)

12月4日、NHK総合テレビジョン「生活ほっとモーニング・この人にトキメキっ!」に経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが出演されました。勝間和代さんについては既に何度も本ブログで取り上げていますが、12月4日の放送は彼女の今日の成功に至る迄の失敗、挫折が語られている興味深いものでした。(その6)【皆で駄目なところは補い合って、得意なところは分け合って、皆で幸せになろうじゃあないですか、というのがコンセプトなんです】

番組キャスター「正直言って、本などを読むと、勝間さんは駄目駄目な部分は無いと思ってました。」 
勝間和代さん「いや、それも身の周りの家族や友人に聞いて貰えるといくらでも幾らでも話してくれると思いますよ。」 
「駄目なところを克服しているのではなくて、駄目なところは人と協力してそちらに任せるんです。
自分が得意なところをなるべく逆に皆に使って戴くというバランスで、皆で駄目なところは補い合って、得意なところは分け合って、皆で幸せになろうじゃあないですか、というのがコンセプトなんですね。」

(続く)

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2009年12月 8日 (火)

12月4日、NHK総合テレビジョン「生活ほっとモーニング・この人にトキメキっ!」に経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが出演されました。勝間和代さんについては既に何度も本ブログで取り上げていますが、12月4日の放送は彼女の今日の成功に至る迄の失敗、挫折が語られている興味深いものでした。(その5)【何故、三毒が良くないかというと、自分で怒りとか妬みとか愚痴を増幅させちゃうんですよ。】

番組キャスター「これ、やるのなかなか難しいですよね。ガミガミ怒っていた管理職が突然怒らなくなるのは・・・」 

勝間和代さん「いきなり翌日から全部出来た訳ではなくて、怒る事もありましたし、羨(うらや)ましいなと思うこともありましたし、お酒を飲みながらグチグチ言う事もありましたが、1年間で、お酒を飲むのをやめましたし、タバコも吸うのをやめたんですよ。」 
「何故、三毒が良くないかというと、自分で怒りとか妬みとか愚痴を増幅させちゃうんですよ。思い出してしまって、イライラしますから・・・人間って、忘れるって、もの凄いプレゼントなんですよ。
だから嫌な事があった時は、さらっと流すとか、妬む暇があったら、妬みたい相手の努力を分析するんですね。」
(続く)

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2009年12月 7日 (月)

12月4日、NHK総合テレビジョン「生活ほっとモーニング・この人にトキメキっ!」に経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが出演されました。勝間和代さんについては既に何度も本ブログで取り上げていますが、12月4日の放送は彼女の今日の成功に至る迄の失敗、挫折が語られている興味深いものでした。(その4)【私の三毒追放:妬まない、怒らない、愚痴らない】

深夜の過食で忙しくて運動も出来ず、一時は67キロまで太り(勝間さんは身長約157センチ)体に変調を来たした勝間和代さんは、2001年、本を読んでいて、仏教に三毒があります。それは、妬(ねた)んだり、怒ったり、愚痴ったりすることが煩悩を起こす、という趣旨の文章に出会います。

当時勝間和代さんは、泥沼からの脱出を試みて様々な事にチャレンジしていましたが、【私の三毒追放:妬まない、怒らない、愚痴らない】、とA4の紙に大きく書いて、会社の自分のブースにおまじないの様に貼ったそうです。
すると、見れば嫌でもやるようになって、勝間和代さん「憑(つ)き物が落ちるように、いろんな事が楽になったんですね。」
(続く)

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2009年12月 6日 (日)

12月4日、NHK総合テレビジョン「生活ほっとモーニング・この人にトキメキっ!」に経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが出演されました。勝間和代さんについては既に何度も本ブログで取り上げていますが、12月4日の放送は彼女の今日の成功に至る迄の失敗、挫折が語られている興味深いものでした。(その3)

勝間和代さん「会計士の試験を受ける時も最初に姉に相談して、どう思う?いいんじゃあないって、姉が同じ大学の、会計士を現役で合格した人を何人か紹介してくれて、そういう人を訪ねていって、どういう勉強をすればいいか、から始めたんです。」

勝間和代さんの年譜に2000年、32歳の時、働き過ぎで体を壊す。とあります。
この頃は、中間管理職で、やってもやっても仕事が終わらず、朝9時に出勤後、終わるのは早くて深夜の11時で、土、日も出勤していました。深夜帰宅後も、ワインを1/2飲まないと眠れない状態で、たまに、飲みすぎて朝起きれないこともあったそうです。
(家事はお母さんに同居してもらって、お母さんに頼っていた)
会社にいる時は一日中タバコを吸っていました。
(注:現在は、勝間和代さんはアルコール・コーヒーは口にせず、タバコも吸わない)
会社で夜遅くピザをとる。
当時、遅くなると、ピザしか届けてくれるところがなかった。
しかもMサイズしか届けてくれないので、勿体無い、と全部食べてしまう。
管理職で部下が多いと、常にトラブルがあり、時には(気が付くと)40分も部下を叱り続ける事もあったという、運動も全くせず、かくして肥満になり、ストレスもたまり、体に変調をきたす。
(続く)

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2009年12月 5日 (土)

12月4日、NHK総合テレビジョン「生活ほっとモーニング・この人にトキメキっ!」に経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが出演されました。勝間和代さんについては既に何度も本ブログで取り上げていますが、12月4日の放送は彼女の今日の成功に至る迄の失敗、挫折が語られている興味深いものでした。(その2)

番組キャスター「お姉さん達を見て(勝間和代は、三女で上にお姉さんが二人いる)、早めに資格も取り、結婚して子供も生むという勝間さんならではの事をしておられる勝間さんでもやっぱりもう一寸頑張らなきゃあいけなかったとか、挫折したりとかという事があったから書いている・・・」 

勝間和代さん「挫折9割でうまくいったのが1割ぐらいですから」 
番組キャスター「そう見えないところは何ですか」 

勝間和代さん(首を振って)「いえ、だからうまくいくまで、やる・・・」 
番組キャスター「小さい時からお姉さん達を見て分析をよくされていますが、そういう子供だったんですか?」 

勝間和代さん「そうなんですね。多分、父親がそういう人だったんですよ。何でもかんでも良く分析をして、ファイリングなんか凄く細かくやってましたから。それに割とまめな人でしたから、多分、家庭内で学習したんでしょうね。」
(続く)

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2009年12月 4日 (金)

12月4日、NHK総合テレビジョン「生活ほっとモーニング・この人にトキメキっ!」に経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが出演されました。勝間和代さんについては既に何度も本ブログで取り上げていますが、12月4日の放送は彼女の今日の成功に至る迄の失敗、挫折が語られている興味深いものでした。(その1)

勝間和代さんを取り上げたブログ

http://www.asuka7.com/2008/05/post_b6ef.html

http://www.asuka7.com/2008/05/130_2c49.html

http://www.asuka7.com/2008/05/3_93d0.html

http://www.asuka7.com/2008/06/post_a5c2.html

【勝間和代さんのプロフィール】

1968年 東京都葛飾区生まれ。公認会計士。経済評論家。
19歳で公認会計士試験の2次試験に最年少で合格。在学中から監査法人で勤め始め、外資系の監査法人、コンサルティング会社、証券会社でキャリアをつむ。
働きながら3人のお子さんを育て、97年にいちはやく働く母親のための情報交換サイト『ムギ畑』を立ち上げる。
現在、会員は4000人以上、ボランティア会員によって運営されている。この活動が注目され、2005年『ウォールストリート・ジャーナル』紙の「最も注目すべき世界の女性50人」に選ばれる。
その後、自立した女性の生き方やキャリアアップのための時間管理術など27冊の本を書き累計300万冊に達する。
現在は、「株式会社・監査と分析」代表取締役、内閣府男女共同参画会議議員、中央大学ビジネススクール客員教授として活躍中。

勝間和代さん「私が本を書いているのは、(私に5歳、10歳年下の妹・弟達がいるとすれば)私がこういう事で失敗したから、同じ失敗しないでね、とか、こういう事でうまくいったから、自分のやり方で真似してみたら、というアイディアが(今まで出した)27冊の本なのです。」
(続く)

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NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の1人、秋山好古(よしふる)の「坂の上の雲」では描かれていない晩年の気骨のある姿が11月29日のNHK「ぐるっと日本」(10:05-11:30)で紹介されました。(その5)「俺は中学校の校長である。以前の位階勲章など話す必要は無い。」

地元松山の中学校に校長として赴任した秋山好古(よしふる)の仕事ぶり。(12月3日ブログの続き)

5.学校の職員が軍人時代の位や勲章の数を尋ねた時の秋山好古(よしふる)の答え、「俺は中学校の校長である。以前の位階勲章など話す必要は無い。」

6.秋山好古(よしふる)に敬意を払い、学校で秋山好古の勲章で飾った軍服写真を生徒に販売しようとした時、「こんな物を売って生徒にいらぬ金を使わせてはならぬ。直ちに除(の)けておけ。」

(続く)

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2009年12月 3日 (木)

NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の1人、秋山好古(よしふる)の「坂の上の雲」では描かれていない晩年の気骨のある姿が11月29日のNHK「ぐるっと日本」(10:05-11:30)で紹介されました。(その4)「生徒は兵隊ではない」

地元松山の中学校に校長として赴任した秋山好古(よしふる)の仕事ぶり。
1.先ず自分が行動を起こして手本を見せ、それから生徒を諭(さと)すのが常であったという。
2.朝は早くから出てきて自ら生徒を迎え、一人一人に挨拶した。
3.教師が休んだ時には授業が休講になるのを嫌い、秋山好古(よしふる)自ら教壇に立った。

4.1925年、政府は「陸軍現役将校学校配属令」を出し、全国の中高等学校に将校が派遣され、軍事教練が必修科目になった。
しかし、「生徒は兵隊ではない」と語っていた秋山好古(よしふる)は、陸軍大将まで上り詰めながら、軍事教練は最低限に押えたといわれている。
(続く)

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2009年12月 2日 (水)

NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の1人、秋山好古(よしふる)の「坂の上の雲」では描かれていない晩年の気骨のある姿が11月29日のNHK「ぐるっと日本」(10:05-11:30)で紹介されました。(その3)

秋山好古(よしふる)は、日露戦争後、軍の要職を歴任し、1916年57歳の時、陸軍大将に昇進する。

しかし65歳の時、地元松山の知り合いから、「松山の中学校で校長が不在となったので、名前だけでも貸した欲しい」と頼まれ、「俺は中学の事は何も知らんが、他に人がなければ校長の名前は出してもよい。日本人は地位を得て退職すると遊んで恩給で食う事を考える。それはいかん。俺でも役に立てば何でも奉公するよ。」と、この依頼を引き受ける。

秋山好古(よしふる)は、当時、重い糖尿病を患い、歩行が不自由になりかけていたが、名前だけを貸すのを良(よ)しとせず、松山への赴任を決意した。
元帥の地位を目前にしての、地方の一中学校校長への転進は、日露戦争以降の国家に対するアンチテーゼ(反発心)があったといわれる。
日露戦争後の軍人達が勝利に奢(おご)り贅沢を極めている事に反発をおぼえていたのである。

“人間はかくあるべきだ、我々(軍人)は最後まで国の為に尽くすのだ”、という彼の信念、衣冠を極めてふんぞりかえる事への、当時の風潮への彼なりの抗議であった。
(続く)

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