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2010年1月

2010年1月30日 (土)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演され、28歳の時の結婚の経緯や、渥美清さんの事等、語っておられました。(その9)「昔は1年で365キロ、1日1キロ泳いでいたが、今は1年で200キロ」

番組では2年前に取材した吉永小百合さんがプールでトレーニングをする風景が放送されましたが、吉永小百合さんは肩の筋肉がついており、練習量の豊富さをしのばせていました。
昨年の記録会では、背泳ぎが50メートルで、52秒3だったとのことです。
泳ぎを習い始めたのは20年前で、撮影の時を除いては週1回習っている、と語っておられました。
(続く)

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2010年1月27日 (水)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演され、28歳の時の結婚の経緯や、渥美清さんの事等、語っておられました。(その8)渥美清さん「そんなもん、体を大事にして、ゆったりしなきゃあ駄目だよ。」

番組キャスター「大変だった時期に渥美清さんと共演されて、その時アドバイスを頂いた・・・」
吉永小百合さん
「はい、その頃は、2年先、3年先まで仕事が決まっていたんですよ。
そしたら、(渥美さんの口真似で)“お嬢さん、そんな、役者なんて定めのないものだからね、そんなね、明日の事が分からないんだよね”、と仰(おしゃ)って、
“そんなもん、体を大事にして、ゆったりしなきゃあ駄目だよ。僕はアフリカに行って、アフリカでね、空から降ってくる星を見たんだ。もー素晴らしかった。”

そんな話をして下さったら、“あー、私はもっと自由にならなければ駄目だ”、というふうに思いました。
渥美さんの語り口を今でも覚えていますけれど。」 
「そこでもう一回、ちゃんと生き直してみようと思いました。」
(続く)

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2010年1月25日 (月)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演され、28歳の時の結婚の経緯や、渥美清さんの事等、語っておられました。(その7)吉永小百合さんが語る結婚の経緯。「私にこう、人を説得したりする言葉があったら、ここまで悩まないですんだかもしれないし」

吉永小百合さん「だから、それ(結婚による両親との軋轢(あつれき))はもう仕様が無いから、まあ母とも何とか接点を見つけて、だけど夫も大事にして、という私の中でコントロールをして、それから37年・・・母が亡くなったのはもう一寸前ですか、30年以上、やってきましたけれど、もう一寸、私にこう、人を説得したりする言葉があったら、ここまで悩まないですんだかもしれないし・・・(ここで、番組キャスターの女子アナウンサーが、ベチャベチャと口をはさむー折角、天下の吉永小百合がしゃべっているのだから、黙って聞いていれば良いのに、キャスターは何かしゃべらなければならないと思っているらしい三流アナウンサーのおしゃべりで、吉永小百合の話が腰を折られてしまう。
-この番組のもう1人のキャスターの男子アナウンサーも、番組中、しばしば、何とも言えない雰囲気を壊す馬鹿笑いをするが、NHKさん、もっと、ましなキャスターはいないの?)」
(続く)

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2010年1月23日 (土)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演され、28歳の時の結婚の経緯や、渥美清さんの事等、語っておられました。(その6)吉永小百合さんが語る結婚の経緯。「もしあの時そうしていなかったら、もう仕事も続けられないし、人間としても、一寸・・・」

吉永小百合さん「もう・・・家出みたいな形で結婚しましたけれど。」
番組のキャスター「その決断は今振り返ると、どのように捉(とら)えていらっしゃいますか?」 

吉永小百合さん(笑いながら)「それは、もう私の最大の良かった点だと思います。」
「もしあの時そうしていなかったら、もう仕事も続けられないし、人間としても、一寸、苦しい状態になってしまっていたと思うんですね。」 

番組のキャスター「暫くは、ご両親は怒っていらした・・・」
吉永小百合さん「ええそうですけど、ただ、母の方は私に“会いたい、会いたい”という人でしたので、新婚の家まできて、“私だって会いたいのよ”、とか、そういう人なんですよ。兎に角、寅年でぐんぐんと強く生きている人なんで。」
(続く) 

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2010年1月15日 (金)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演され、28歳の時の結婚の経緯や、渥美清さんの事等、語っておられました。(その5)吉永小百合さんが語る結婚の経緯。「じっくり“待つ”には、自分にはとても時間が無いというところだったんですね。もう・・・家出みたいな形で結婚しましたけれど。」

番組のキャスター「結婚に当たっては、ご両親が反対をされたと・・・」 

吉永小百合さん「はい、そうですね、親は多分私は結婚をしないと思ったんですね。するにしても、女ばかりの姉妹(きょうだい)ですから、養子みたいな形だと思っていたんですね・・・それが突然“結婚をしたい”と言い出してびっくりし、しかも“暫(しばら)く仕事をやめたい”、ということで、何を言っているんだ、とても理解できなかったと思うんですね。

私の悪いところは、それまでよく、家の中で言う事を聞く子で、28年間来てしまって、或る日突然、私、そうしないと生きていけない、人間として駄目になると思って」 
番組のキャスター「途中で相談もしてなくて」 
吉永小百合さん「相談というか、そういう人と付き合っているというのは言ったんですけど、それも受け入れられなくて、じっくり“待つ”には、自分にはとても時間が無いというところだったんですね。
もう・・・家出みたいな形で結婚しましたけれど。」
(続く)

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2010年1月13日 (水)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演されました。(その4)吉永小百合さんが語る結婚の経緯。「これは生活全部を変えなくては駄目だろうと、その時、私の事をとても励ましてくれた男性と結婚して」

吉永小百合さんは、数々の賞を受賞した“キューポラのある街”(1962年)の後、忙しい女優人生を送るが、ストレスで声がでなくなる危機を迎える。 

吉永小百合さん「ささやき声は出るんですけど、ちゃんとした声がでなくて、2週間ぐらい入院して全く声を使わない生活をしてみたが、それでは直らなくて、これは生活全部を変えなくては駄目だろうと、その時、私の事をとても励ましてくれた男性と結婚して、全く仕事の事を忘れて、1年間、魚を買いに魚河岸に行ったり、近所の奥さん達とカレーライス作りをしたり、そういう期間を経て、又、元気になって撮影の現場に戻った、ということなんですね。」
番組のキャスター「結婚に当たっては、ご両親が反対をされたと・・・」
(続く)

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2010年1月11日 (月)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演されました。(その3)「考えながら演じたのは、これが始めての作品でした」

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演されました。(その3)「考えながら演じたのは、これが始めての作品でした」
吉永小百合さん
「(15歳の時、月給が1万円で、1本のギャラが2万円という契約をして)(仕事は)もっと、楽な事(展開)を考えていたんですけど、ギャラを頂きながら高校へ行って、という風に。
そうしたら、高校のほうは僅か1学期で行かれなくなったんですね。
余りにも忙しくて。
それで、学校は諦めて映画に出続けましたけど。」 

そこで吉永小百合さんは、社会派監督・浦山桐郎(うらやまきりお)の処女作“キューポラのある街”(1962年)に出会う。 

吉永小百合さん「監督に貧乏について考えてご覧って言われたんですね。
で、“貧乏なら私、よく知っています”って言ったんですけど、監督は、“君の家は山の手だろう。ここは下町なんだ。下町の貧困について考えて演じて欲しい”って言われました。
考えながら演じたのは、これが始めての作品でした。」 

埼玉県川口市を舞台にした“キューポラのある街”は、その年のブルーリボン賞作品賞を受賞し、主演の吉永小百合もブルーリボン賞主演女優賞、浦山桐郎監督も第3回日本映画監督協会新人賞を受賞する事になる。
(続く)

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2010年1月10日 (日)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演されました。(その2)「15歳の時、月給が1万円で、1本のギャラが2万円という契約をして、」


吉永小百合さん「小さい頃はとにかくおてんばで、男の子と遊ぶのが大好きでどちらかと言えば、私1人、男の子だったんじゃあないかという雰囲気でしたね。」 

番組キャスター「小さい頃、芸能界への憧れとかは?」 
吉永小百合さん
「それは全然無かったんですけど、小学校5年生の時(学芸会で)児童劇を演じていて、何か、やってる本人が心が洗われる様な、いい思いをしたんですね。
それと医療少年院が小学校の直ぐ隣にあって、そこに同じ出しものを持っていったら、少年達が泣いてくれたんです。
それで何か演劇の素晴らしさを感じたんですね。“いつか大人になったら、劇団とかに入って演劇とかやってみたい”という思いは多少あったんですけど、只、それだけだったんです。

それが小学校6年生の時、ラジオドラマ「赤胴鈴の助」に親戚が“やってみたらどうだ”って葉書を出して、選ばれたんです。」 
「ドラマの収録は夜中で3時くらいまでやって、翌朝は8時から学校でつらかったのを覚えています。私の家も大変な状況だったので、そういう意味では、頂くギャラが家計を助けるという思いはありました。」

その後吉永さんは、色々縁があって映画会社“日活”に入る。 
吉永小百合さん「15歳の時、月給が1万円で、1本のギャラが2万円という契約をして、それからちょうど、50年になります。」
(続く)

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2010年1月 8日 (金)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演されました。(その1)


吉永小百合さんは、1945年、終戦の年に、3人姉妹の次女として東京の渋谷に生まれました。
小学校5年生の時、学芸会で主役に選ばれます。
小学6年の時、ラジオドラマ赤胴鈴の助に親戚が応募し藤田弓子さんと共に1万人の中から選ばれてデビューしました。
当時父親が事業に失敗し、ピアノの教授をしていたお母さんの収入に頼る生活をしていた吉永さんの出演料は家計を助けました。
(続く)

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2010年1月 7日 (木)

1月 2日(土)NHK総合テレビジョン午前9:00~午前9:45の「初春トーク」は、宮崎駿(はやお)(映画監督・アニメ作家)と養老孟司(ようろうたけし)(脳科学者・解剖学者)の「子どもが生き生きするためにー子供達には何が必要か」で、京都国際マンガミュージアムでの聴衆を前にした公開対談でした(その3)「映画館の中はエアコンが効いていて、とてもそんなものは伝わってきませんから・・・実際に生活するのとは違う事なんで」

宮崎駿「僕ら、トトロの風景を描いている時に、本当はムンムンして蛾(が)が一杯飛んできて、電気を点けてご飯を食べていると、飯の上に虫が落ちてくるから、お膳の位置をずらして食べていたもんだとか話をしながら映画を作っているんですけど。
映画館の中はエアコンが効いていて、とてもそんなものは伝わってきませんから、
そうした状態で日本は綺麗だとか何とかと思うのと、実際に生活するのとは違う事なんで、
やっぱり、あんまり子供の時から、トトロを100回見たとか言うのはね、
それもエアコンの効いた部屋で見ているのは極めて良くないことなのではないかと、勝手に思っているだけなんですけど・・・それが僕らが抱えている矛盾です。」
(続く)

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2010年1月 4日 (月)

1月 2日(土)NHK総合テレビジョン午前9:00~午前9:45の「初春トーク」は、宮崎駿(はやお)(映画監督・アニメ作家)と養老孟司(ようろうたけし)(脳科学者・解剖学者)の「子どもが生き生きするためにー子供達には何が必要か」で、京都国際マンガミュージアムでの聴衆を前にした公開対談でした(その2)「アニメーションばかり見ていると基礎になるものが無くなるんですよ。基礎がトトロでは困るんですよ。」

宮崎駿「木の雰囲気は松江出身の人間、九州出身の人間で皆、木立が違うんです。
夕日を描けと言うと、自分が海辺に住んでいて、いつも沈む太陽を見ていた人が描くと、南の海を描こうが、何をしようがずーと、そいつは柏崎の人間でしたけど、柏崎の日没を描くんですね。

それで、都会の人間は自分の夕日を持っていないんです。
だから、東京出身の美術はあまり信用出来ないんです。
よっぽど勉強しないと、自分の風土性が無いから、基礎になるものがないんですね。
何故こんな話をしたかと言うと、漫画とか、アニメーションばかり見ていると基礎になるものが無くなるんですよ。
基礎がトトロでは困るんですよ。
綺麗だと言って貰えるが、映画には湿度が無いでしょう!」
(続く)

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2010年1月 3日 (日)

1月 2日(土)NHK総合テレビジョン午前9:00~午前9:45の「初春トーク」は、宮崎駿(はやお)(映画監督・アニメ作家)と養老孟司(ようろうたけし)(脳科学者・解剖学者)の「子どもが生き生きするためにー子供達には何が必要か」で、京都国際マンガミュージアムでの聴衆を前にした公開対談でした(その1)「漫画はそんなに読まなくても良いのにとか思う人間でして」

宮崎駿「僕は色々ぐずぐず思う類の人間でして、漫画はそんなに読まなくても良いのにとか思う人間でして、そのことを苦情を言いにきた訳ではないんですけど(笑)」
 「(子供から手紙が来てトトロを60回見たとか、の話を聞いて)本当に矛盾の塊なんですが、1年に一回くらいチラッとアニメーションを見て“何だったんだろう、あれ?”という体験の方が良いのではないかという気持ちはいまだに僕は消えませんね。
親に怒られながら漫画を回し読みして、こっそり見て、早く返せだのという騒ぎに巻き込まれてぐらいの方が漫画にとっても良かったのではと思ったりするんですけど、それもあてにならないんです。自分の体験から言っているだけで。」
(続く)

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2010年1月 2日 (土)

12月31日のNHK教育テレビジョン「心の時代」(5:00-6:00)は2009年7月5日の「樹洩陽舎(こもれびしゃ)」舎幹・栖雲(すくも)幸雄さん(63歳)のアンコール放送でした。(その3)

栖雲(すくも)幸雄さん「僕は“皆(みんな)三振しろ、思いっきり三振しろ”、バットを振って帰ってきたら、結果は三振でも“ナイススイングだ”と先ず、言い続けました。
そうすると選手達は三振ばかりでは試合に勝てないじゃあないですか、そういうチームだったんですが、まあ、半年1年かけて、選手達が自信を持ってバットを振るようになったんですね。
そうすると、相手チームからか“怖い”という声が聞こえだした。

つまり、思い切り振ってくる。
当たったら大変だという恐れまで相手が感じ出した。
選手達が分かったのは、振ってみたら、何故当たらないか、何故打てないかが分かるんですね。
そして思いっきりスイングしてみたら、自分の打った球が自分でも信じられないくらい早い打球が飛んだり、遠くへ飛ぶ。
え、俺だってこんな打球が打てるんだ、と自信を持ち出して、一気に京都私大のリーグを制覇したんですね。
皆が“えーっ”と驚いたけど、それは結果を恐れなかった、三振を恐れなかった、バットを振ってみて、何故自分が打てなかったかが分かってきた。

(優勝して)キャップテンが号泣して、僕の胸に飛び込んできて、“野球をやってて良かったです”と泣いてくれる。
まさに監督冥利につきる・・・そこに、やらなきゃあ何も始まらない、スポーツでも、人生でもそうなんだよ、と良く言うんですね。」
(栖雲(すくも)幸雄さんの項、終わり)

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2010年1月 1日 (金)

12月31日のNHK教育テレビジョン「心の時代」(5:00-6:00)は2009年7月5日の「樹洩陽舎(こもれびしゃ)」舎幹・栖雲(すくも)幸雄さん(63歳)のアンコール放送でした。(その2)

栖雲(すくも)幸雄さん「私は若い人たちに(失敗を恐れずに)やってごらん、という事を言うんですけどね。
私の母校の大谷大学の野球部の監督もさせて貰ったんですけど、京都中の人が知ってるくらい大谷大学の野球部は実に弱い野球部で勝つ筈も無い、優勝なんてもってのほかだと思うような、そんなチームだったんです。

監督に就任して驚いたのは、選手達が満足にバットも振れないんですね。
皆(みんな)見逃しで三振を宣告されて帰ってくるんですね。
“何で(バットを)振らないの?”って訊(き)いたら、“三振したらどうしよう、三振したらどうしよう”と思って打席に立っていると言うんですね。

で、“バットは振らなきゃあ当(あ)たらないよ、振れよ”って言うけど、振れない。
それでも振れよって言うと、振るけど、腰が入っていない。
足元も定まっていない。

そこで僕は“皆(みんな)三振しろ、思いっきり三振しろ”、バットを振って帰ってきたら、結果は三振でも“ナイススイングだ”と先ず、言い続けました。」
(続く)

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