以下は、インターネット上のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用を中心として編集しています。
本名 渡瀬 道彦 (わたせ みちひこ)
1941年12月28日生まれ
青山学院大学経済学部卒業。青山学院大学時代は空手部に在籍し空手2段。柔道初段。
石原裕次郎と誕生日が同日(7歳差)。
俳優の渡瀬恒彦は弟。
青山学院大学在学中、日活が浅丘ルリ子主演100本記念映画の相手役となる新人「ミスターX」を募集しており、この事を知った弟の恒彦や所属していた空手部の仲間が渡に内緒で応募した為、本人は激怒する。しかし、「撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかも知れない。」との友人の言葉から日活撮影所の見学中にスカウトを受けデビュー。
プロテニスプレイヤーの錦織圭の曽祖父と渡の祖母は兄弟という縁戚関係である。
「仁義なき戦い」シリーズで大センセーションを巻き起こしていた深作欣二監督のもと1974年から75年にかけて『仁義の墓場』、『やくざの墓場 くちなしの花』に主演。興行的には惨敗したものの、この2作はヤクザ映画史に残る傑作として名高い。
1987年、裕次郎死後、石原プロ社長に就任する。
1992年に自ら直腸癌であると発表し、柏木純一の著書『渡哲也 俺』に壮絶な闘病記が記されている。これにより、オストメイト(人工肛門使用者)として知られることになり、主な公共施設に専用トイレや設備が普及する遠因となっている。
2005年、紫綬褒章受章。
エピソード
1)日活デビュー当時、食堂で食事をしていた石原裕次郎に挨拶に行った際、他の俳優達と違って裕次郎はわざわざ立ち上がって握手し「石原裕次郎です。君が新人の渡君ですか、頑張って下さいね」と声をかけたというエピソードがある。
渡はこの事に非常に感激し、それが後の石原プロに入社する経緯にもなった。
自分が若手から挨拶を受ける立場となった現在も同じ態度で接しており、ドラマで共演したV6の岡田准一や滝沢秀明はかつての渡同様に感激している。
2)色々と世話になった石原の窮地を救うため当時180万円(現在の価値で1000万円に相当)の全財産を持って石原の元へ赴き、「社員の皆さんのお茶代にでも使って下さい」と差し出したのは有名な話である(無論、石原は気持ちだけ受け取った)
3)『大都会 PARTIII』撮影時、共演していた宮本刑事役の苅谷俊介の夫人が入院しており苅谷が金に困っているという話を聞き、撮影終了後に苅谷を呼び止め「お前怒るなよな。見舞いには花が相場なんだがあいにくないんでな。少ないけどこれ取っとけ」と言って金の入った封筒を渡した。苅谷は帰っていく渡の後ろ姿を涙でまともに見られなかったと、自身の著書『土と役者と考古学』で語っている。
4)『西部警察』で演じた大門圭介でサングラスをかけるきっかけになったのは、当時40歳で「40歳にもなってマシンガン持ってドンパチやる姿が恥ずかしいから」という理由であった。
5)2003年、『西部警察2003』の撮影中に石原プロ所属俳優が運転するスポーツカーが見物人に突っ込み5人が重軽傷を負う事故が発生した。それを受け、即全ての予定をキャンセルして、すぐさま背広姿で、被害者の入院先を訪れ、病室で靴を脱ぎ、土下座で謝罪した。このことは記者会見で自らカミングアウトした形で判明した。このとき、「私が土下座したことは話してもよいのでしょうか?」と同席した事務所関係者に尋ねる声がマイクに入っている。マスコミは渡のひととなりが表れていると概ね好意的に報道したが、一部の視聴者からは「わざとらしい」との感想も聞かれた。
6)趣味は「焚火」。火が上がるような焚き火ではなく、煙が一筋昇るくらいが良いとのこだわりがあり、たなびく煙の行方を眺めているのが好きだとのこと。
7)意外なようだが甘党で、ケーキやソフトクリームが大好物であり、大方の甘党がそうであるように下戸で、飲めない酒を無理して飲んでいたのは有名。石原裕次郎の晩年にヤケ酒のような飲み方をしていたが、次第に人並みに飲めるようになったとの本人談もある。
タバコも昔は『西部警察』などのドラマの中でも吸っていたが、ガン闘病以降は吸わなくなった。
8)歌手の長渕剛の熱烈なファンとして知られる。「プロ野球の清原選手以上の長渕ファン」とは本人の弁である。渡の入院中に長渕が見舞ったり、長渕のコンサートに渡が出向くなど、非常に親しい関係である。
9)『西部警察』などでのイメージからか気が短いように誤解されるが、実際は温厚な人柄。
10)出身地ともいえる淡路島が阪神淡路大震災で大きな被害を受けた時に、弟の恒彦と共に淡路や神戸を訪れ炊き出しを行い、被災者を勇気づけた。被災地に赴く前には、「お世話になった淡路島の人々に少しでも恩返しをしたいが、売名行為と取られたり、芸能人の自分が行く事でマスコミを呼ぶ事になり、かえって迷惑を掛けたりしてしまうのではないか」と悩んでいたが、石原プロの小林専務の「売名行為と言う奴には言わせておけばいい。阪神淡路は渡さんだけでなく、裕次郎さんが育った土地なのだから、行くべきだ」との言葉に後押しされて駆けつけている。
話題の出演作
愛と死の記録(1966年、日活、監督・蔵原惟繕)「ブルーリボン新人賞」を受賞。 吉永小百合との初共演作品
大忠臣蔵(1971年、NET(現・テレビ朝日)三船敏郎主演)-堀部安兵衛役
大河ドラマ 義経(2005年、NHK) - 平清盛 役
これまで悪役のようなイメージが定着していた清盛を、異国との貿易によって国を繁栄させようとする、スケールの大きい人物として演じ、近年の当たり役としての評価も高い。
代表曲
くちなしの花(1973年8月21日)
(次回に続く)
最近のコメント