毎週水曜日深夜(25:55-26:50)のTBSテレビの「CBSドキュメント」は厳選された海外のドキュメンタリーで、日本のメディアとは違った切り口があり、大変興味深い。
2月13日(水)深夜の放送は、アメリカのイラク侵攻の口実に使われた、偽の「生物化学兵器工場の存在情報」の情報源となったコードネーム「Curve Ball」(カーブ・ボール)の男の話でした。証拠となる書面の写しや関係者のインタビュー等で構成されたドキュメントは、現代史の生々しい舞台裏を明らかにするものです。
向かって左から、ライス現国務長官、パウエル元国務長官、ブッシュ大統領、
ラムフェルド元国防長官
1. 2003年2月5日、当時のアメリカ国務長官(日本の外相にあたる)コリン・L・パウエル氏は、国連安全保障理事会でイラクの大量破壊兵器について演説をした。この中で彼は、生物兵器の移動式製造工場について、イラストを使って説明し、「之はイラク人の化学エンジニアによってもたらされた信頼すべき情報だ」と語った。
2. 後に、情報提供者が「Curve Ball」と言われるコードネームで呼ばれていた事が明らかになった。 CBSは2年に渡って取材し、アメリカに偽の情報を提供した「Curve Ball」の正体を突き止めた。
3. 下の写真は、ラビド・アハマド・アルワンが1993年にバグダッドで知人の結婚式に出席した時のものである。
6年後、彼は「Curve Ball」と呼ばれる情報源になり、アメリカのイラク侵攻の手助けをする事になる。
4. 1999年11月、当時32歳の彼は、ドイツ、ニュールンベルグ郊外の難民キャンプに車で来て亡命を申請、「自分はイラクの化学技術者で大学時代の成績を見込まれてバグダッド郊外の工場の監督をしていた」、と話した。そして「そこは、表向きは“種(たね)の精製工場”だが、実は秘密の“移動式生物兵器製造施設”だ」と明かした。
5. 彼がドイツ当局に話した内容では、特別装備のトラックが写真右端の工場の一方の入り口から入り、そこでホースやパイプに接続して病原菌を培養し、やがて病原菌を積んだトラックは反対側の出口から出て行く、というものだった。
之は、“イラクが移動式の生物兵器を開発する可能性がある”という、欧米の情報当局の懸念と一致。ドイツ当局はアルワン氏の身柄をニュールンベルグからエルラムエンに移し、「Curve Ball」と呼ばれるコードネームを与える。そこで週に1・2回、1年半にわたり尋問、本人がアメリカ当局との面接を望まなかった為、情報の要約だけがワシントンに送られた。しかしそれはCIA(Central Intelligence Agency米中央情報局)の分析官を納得させるものだったのである。或いは、イラク侵攻の口実を探していたCIAがこの話に飛びついた、とも言える。
6. その情報を根拠にCIAは、“イラクが炭素菌などの生物兵器でアメリカなどを攻撃、もしくはテロリストグループに横流しする恐れがある”と主張した。「Curve Ball」からの情報で特に注目されたのは、彼が問題の施設で働いていた時に“生物兵器の威力を目の当たりにした。即ち、1998年に起きた事故で、貯蔵タンクの周りで働いていた12人が死亡した”、というものだった。 2001年2月、ドイツとアメリカの専門家がミュンヘンでこの件について討議した。1998年の時点で問題の工場(建物)の前には車が通り抜け出来ない壁があった事が分かった。しかし、「Curve Ball」を信じるCIAの分析官たちは“壁は見せかけだ”と解釈した。更に「Curve Ball」は、“移動式生物兵器計画”の幹部に、著名な核化学者、バシル・アル・サピル博士がいたと証言し、CIAの信頼を深めた。 当時、イギリス諜報局はイラク国外にいる博士を見つけ出し、施設について質問している。CBSも又、博士にインタビューし、その時の映像を記録している。そのインタビューで、博士は、“移動式生物兵器計画”の存在を完全に否定している。博士は、問題の工場は、「本当に“種(たね)の精製工場”であった」と断言している。博士は更に、「もし自分がそのようなプロジェクトに関わっていたら、1999年に出した海外移住申請をサダム・フセインが許可する訳はない」と指摘。
一方、博士の海外移住を知らされた「Curve Ball」は、驚きを隠せず、情報提供には以前より神経質で、非協力的になった。
7. ドイツ当局も彼に不安を覚えるようになった。アメリカでも2002年12月、元CIA中央グループのチーフ、マーガレット・ヘモック氏が会議で疑念を露(あらわ)にした。「あの男が何者なのか、身分を証明するものが何も無い」と指摘した。「事実だと言う証拠が無いなら、信用するべきではない」、と。しかし、「Curve Ball」を信用する分析官は、「施設での死亡事故で彼が防護服を着用した写真がある」、と反論。ヘモック氏が、「何故、之が彼だと分かるんです?防護服で顔も見えないのに」と訊くと分析官は一言も返す事が出来なかった。ヘモック氏は上司に、「あの情報源は没です」と報告したと、CBSのインタビューで話している。
8. しかしそれでも、「Curve Ball」は、CIAの中で生き残る。
2002年12月18日、CIA長官のジョージ・テネット氏は、ドイツ諜報局長官に緊急要請をした。その内容は、“対イラク戦について3日後にブッシュ大統領と会談する予定があるので、「Curve Ball」本人をテレビ出演させるか、或いはアメリカ人専門家が彼に面談し、その模様をテレビで放送したい”、というものだった。“それが駄目なら、「Curve Ball」が提供した情報を公開したい”、と。そして“48時間以内に回答をして欲しい”と頼んだ。
48時間後、ドイツ諜報局長官から文書で回答が来た。CBSは、そのコピーを入手している。ドイツ諜報局長官は、「Curve Ball」本人のテレビ出演も、アメリカ人専門家によるインタビュー要請も却下、その上で、“「Curve Ball」の報告自体は信頼出来そうだ”と記しているが、“情報を立証する事が出来なかったので、未確認の情報として扱うべきだ”、とも付け加えている。
この手紙についてテネット氏本人はスポークスマンを通じて、CBSに、“見覚えがない”と主張。 之に対し、元CIAヨーロッパ担当チーフのドラム・フェラー氏は、「見ていないと言うなら、当時の特別補佐官に問い質(ただ)す必要があります。実際は長官に手紙を見せた筈です。本人は見たくない手紙だったのでしょう。」と語っている。
翌12月21日、テネット長官はブッシュ大統領と会談、“イラクの大量破壊兵器の保有は絶対確実だ”と太鼓判を押した。
9. 国連を説得するのは、コリン・L・パウエル国務長官の役目だった。 彼は陸軍参謀長、ラリー・ウイルカーソン大佐をCIAに派遣した。 テネットCIA長官と側近の専門家たちは、大佐の前で、“絶対に間違いない”、という態度でイラクの“移動式生物兵器計画”の話をダイナミックに、ドラマチックに説明した。
そして、2003年2月5日、パウエルアメリカ国務長官は、国連安全保障理事会で、世界に向けて、「サダム・フセインが生物兵器を保有している」と発表した。会議場に、「Curve Ball」がドイツ当局に説明した工場の模型が映し出された。実は、決定的証拠とされたものは、アメリカ当局が一度も会った事が無い情報源から得た、言葉だけで、裏づけするものが何もない情報だったのである。
10. その3日後、「Curve Ball」が証言した、バグダッド郊外の“移動式生物兵器製造施設”を国連の査察団が訪れた。そこで彼らが見たものは、1998年当時にもあった、問題の工場(建物)の前にある、車が通り抜け出来ない壁だったのである。「トラックが出て行く」と「Curve Ball」が言った建物の反対側にも壁があり、トラックが出て行けないばかりか、建物には出口すら無かった。建物内を精密に調査し、サンプルを採取したが、生物兵器の痕跡は全く見つからなかった。
しかし、この査察結果は何の影響力も無かった。 アメリカのイラク侵攻は査察結果報告の3週間後に始まったのである。
11. アメリカがイラクを制圧し、大量破壊兵器を探し始めた頃、「Curve Ball」の話に破綻が生じ始めた。
「Curve Ball」こと、アルワン氏はドイツ情報当局に「化学工学科を最優秀で卒業した」と話していたが、彼の大学の成績が見つかり、100点満点で50点前後だった事が分かった。
結局、問題の工場は単なる“種(たね)の精製工場”であった事が判明した。アルワン氏は1995年に“種(たね)の精製工場”を辞めた後、バベルテレビ制作会社に就職し、そこで高価な装置を盗んで逮捕されている。12人の犠牲者が出たという“1998年の工場の事故”は、根も葉もない全くの作り話だったのである。アルワン氏は当時、イラク国内にすらいなかった。
12. 2004年3月、ドイツ情報当局は、CIAがミュンヘンで「Curve Ball」の尋問を行う事を許可した。
建物の前の「壁」が鍵だった。CIAが「Curve Ball」に、施設の写真を見せ、壁の存在を指摘すると、彼は、「写真を修整(合成)したのですね」と言った。壁は1997年に建設されたので、1995年に工場を辞めていた「Curve Ball」は、壁の存在を知らなかったのである。 CIAは、結局、「Curve Ball」がペテン師だった事を認めざるを得なかった。
彼が何故、作り話をしたのか?ドラム・フェラー氏は、“ドイツの永住許可が欲しかったので、機密を知っていると言った”、と推測する。 アルワン氏は結局、望みのものを手に入れ、現在は新しい名前でドイツで暮らしている筈である。
WHO(World Health Organization―世界保健機構)はイラク開戦で15万人以上の民間人が犠牲になっている、と最近、発表している。
13. コリン・L・パウエル元国務長官は、その後、ABCテレビのインタビューで、2003年2月5日の国連安全保障理事会の演説は、「我が人生の汚点だ」と語っている。
アメリカ軍に捕まり、「大量破壊兵器の存在を何故、ハッキリと否定しなかったのか?」と、CIAから尋問されたサダムフセイン・イラク元大統領は、「隣国イランへの牽制と、アメリカがイラクを攻撃するとしても、局地的・限定的なものにとどまると思った(前回、イラクがクエートを攻撃した時、アメリカはバグダットまで侵攻しなかった)」と答えたということである。 その後、彼の死刑が執行された。
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