芸能・アイドル

2010年1月13日 (水)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演されました。(その4)吉永小百合さんが語る結婚の経緯。「これは生活全部を変えなくては駄目だろうと、その時、私の事をとても励ましてくれた男性と結婚して」

吉永小百合さんは、数々の賞を受賞した“キューポラのある街”(1962年)の後、忙しい女優人生を送るが、ストレスで声がでなくなる危機を迎える。 

吉永小百合さん「ささやき声は出るんですけど、ちゃんとした声がでなくて、2週間ぐらい入院して全く声を使わない生活をしてみたが、それでは直らなくて、これは生活全部を変えなくては駄目だろうと、その時、私の事をとても励ましてくれた男性と結婚して、全く仕事の事を忘れて、1年間、魚を買いに魚河岸に行ったり、近所の奥さん達とカレーライス作りをしたり、そういう期間を経て、又、元気になって撮影の現場に戻った、ということなんですね。」
番組のキャスター「結婚に当たっては、ご両親が反対をされたと・・・」
(続く)

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2010年1月11日 (月)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演されました。(その3)「考えながら演じたのは、これが始めての作品でした」

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演されました。(その3)「考えながら演じたのは、これが始めての作品でした」
吉永小百合さん
「(15歳の時、月給が1万円で、1本のギャラが2万円という契約をして)(仕事は)もっと、楽な事(展開)を考えていたんですけど、ギャラを頂きながら高校へ行って、という風に。
そうしたら、高校のほうは僅か1学期で行かれなくなったんですね。
余りにも忙しくて。
それで、学校は諦めて映画に出続けましたけど。」 

そこで吉永小百合さんは、社会派監督・浦山桐郎(うらやまきりお)の処女作“キューポラのある街”(1962年)に出会う。 

吉永小百合さん「監督に貧乏について考えてご覧って言われたんですね。
で、“貧乏なら私、よく知っています”って言ったんですけど、監督は、“君の家は山の手だろう。ここは下町なんだ。下町の貧困について考えて演じて欲しい”って言われました。
考えながら演じたのは、これが始めての作品でした。」 

埼玉県川口市を舞台にした“キューポラのある街”は、その年のブルーリボン賞作品賞を受賞し、主演の吉永小百合もブルーリボン賞主演女優賞、浦山桐郎監督も第3回日本映画監督協会新人賞を受賞する事になる。
(続く)

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2010年1月10日 (日)

1月8日のNHK総合テレビジョン「この人にときめき!」に今月、映画出演114本目となる「おとうと」(山田洋次監督、弟役は笑福亭鶴瓶さん、娘役に蒼井優、他に石田ゆり子、等)が公開される女優の吉永小百合さんが出演されました。(その2)「15歳の時、月給が1万円で、1本のギャラが2万円という契約をして、」


吉永小百合さん「小さい頃はとにかくおてんばで、男の子と遊ぶのが大好きでどちらかと言えば、私1人、男の子だったんじゃあないかという雰囲気でしたね。」 

番組キャスター「小さい頃、芸能界への憧れとかは?」 
吉永小百合さん
「それは全然無かったんですけど、小学校5年生の時(学芸会で)児童劇を演じていて、何か、やってる本人が心が洗われる様な、いい思いをしたんですね。
それと医療少年院が小学校の直ぐ隣にあって、そこに同じ出しものを持っていったら、少年達が泣いてくれたんです。
それで何か演劇の素晴らしさを感じたんですね。“いつか大人になったら、劇団とかに入って演劇とかやってみたい”という思いは多少あったんですけど、只、それだけだったんです。

それが小学校6年生の時、ラジオドラマ「赤胴鈴の助」に親戚が“やってみたらどうだ”って葉書を出して、選ばれたんです。」 
「ドラマの収録は夜中で3時くらいまでやって、翌朝は8時から学校でつらかったのを覚えています。私の家も大変な状況だったので、そういう意味では、頂くギャラが家計を助けるという思いはありました。」

その後吉永さんは、色々縁があって映画会社“日活”に入る。 
吉永小百合さん「15歳の時、月給が1万円で、1本のギャラが2万円という契約をして、それからちょうど、50年になります。」
(続く)

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2009年11月12日 (木)

11月10日のテレビ朝日の“徹子の部屋”に女優の大竹しのぶさんが出演されましたが、大竹さんと黒柳には、顕著な共通点があることが判明!それは二人とも、「片付け」が苦手であること。整理べたの私(ブログ著者)も大いに共感したお二人の話をどうぞ!(その3)

黒柳徹子「ちなみにお母様は、お片づけは?」 
大竹しのぶ「あ、上手です。キチンと。だから、電池とか、それこそ切手とか、母の部屋に買って置いて、(笑い)そうするともう絶対あるんで・・・」 
黒柳徹子「そう、私ね、前、母の家にいくと、鋏(はさみ)は、鋏って(ちゃんと)なってるのよ。どうしてこういう風になってるのって訊いたら、うん、要る時、困るからって言うから、そうよねって。」 

大竹しのぶ「(私)しょっちゅう探してるの」 
黒柳徹子「私も探してます(笑い)」 
黒柳徹子「人生、ほとんど、それで・・・(笑い)要するに、私も貴女も、そうなんですけどね、(手を動かしながら)元に戻せば何でもないのよ、使った後、こうやって。(手を手前に動かす)」 
大竹しのぶ「今日から、そうします。」 
黒柳徹子「そうしましょう!」(二人で笑う)
(大竹しのぶさんの項、終わり)

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2009年11月11日 (水)

11月10日のテレビ朝日の“徹子の部屋”に女優の大竹しのぶさんが出演されましたが、大竹さんと黒柳には、顕著な共通点があることが判明!それは二人とも、「片付け」が苦手であること。整理べたの私(ブログ著者)も大いに共感したお二人の話をどうぞ!(その2)

黒柳徹子「もうね、物の整理がつかないですねー」 
大竹しのぶ「本当ですか?よかったあ、じゃあ、こうゆう資料とか、どっかに行っちゃったり」 
黒柳徹子
「ですから私は、“徹子の部屋”で重要なものは、私に渡すと、“返して欲しい?”って訊くの、“返して欲しい”って言わないなら持って帰るけど、“返して”って言うなら、私、ここに置いていくって言うぐらい(笑い)」 

大竹しのぶ「本当ですか!小物、文房具類は私、何個うちから出てくるって感じ・・・(笑い)」 
黒柳徹子「ええ、色んな物、ほとんど毎日、探し物で人生を送っているって感じ」 
大竹しのぶ「よかったあ、私も一緒!(笑い)」 
黒柳徹子「そうなの」(笑い) 
大竹しのぶ「無駄ですねー」 
黒柳徹子「ほんと、キチンとしてればねえ」 
大竹しのぶ「ほんと」 

黒柳徹子「だからね、キチンとした人になろうって毎日思うの私、ねえ、これはここに置いて、(手を左右に動かしながら)これはここに置いてって、する時もあるんですよ。切手はここに全部、50円、80円ってキチンと、するんですけど、その後がいけないのね、使った後、そこに戻せば良いんですけど、そこの辺に置いておくと、どんどん、こうなっちゃう(手で山を作る)・・・」
(続く)

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2009年11月10日 (火)

11月10日のテレビ朝日の“徹子の部屋”に女優の大竹しのぶさんが出演されましたが、大竹さんと黒柳徹子さんには、顕著な共通点があることが判明!それは二人とも、「片付け」が苦手であること。整理べたの私(ブログ著者)も大いに共感したお二人の話をどうぞ!(その1)

大竹しのぶ「私も片付けられないんです。」 
黒柳徹子「片付け、駄目?あら嬉しい私もね、蜘蛛の巣城なの」 
大竹しのぶ「えー本当ですか!じゃあ、物とか、直ぐ失くします?」 
黒柳徹子「もう、探すの、大変!ほとんど」 

大竹しのぶ「私も!人生、探している時間、一杯ありますよ。」 
黒柳徹子「でね、大事な者に付けといて、こっちでビ、ビ、とボタンを押すとそっちで、ピ、ピ、と音がするってゆうのを或る日見つけたの、ところが、1つ2つならいいんだけど、一杯つけちゃうと、ピ、ピ、いっても何だか分からなくなっちゃって、結局、それも駄目ってなって」 (笑う大竹しのぶ)
(続く)

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2009年11月 1日 (日)

10月23日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、10月21日に亡くなった女優の南田洋子さんが、過去「徹子の部屋」に出演された中から、「追憶・さん」として映像で在りし日の彼女を偲んでいました。(その6)「人生、生きちょるだけで丸儲け」

2006年2月8日放送(当時、南田洋子さん72歳)の「徹子の部屋」より。
黒柳徹子「南田さんはNHKの朝のテレビ小説の“わかば”の中で“のぶ”というおばあちゃんをおやりになったんですけど、“人生、生きている事は”」 

南田洋子「人生、生きちょるだけで丸儲け」
黒柳徹子「ああ、そうか」 

南田洋子「それをね、災害時に、新潟の方の方が言うんですよ。・・・」
「もう泣いちゃった。」 
黒柳徹子「ああ、そういう」 
南田洋子「引用してね」 

黒柳徹子「人生、生きちょるだけで丸儲け・・・」
南田洋子「私も、まったく、そう思ってる。」 
黒柳徹子「でも、そういう風に仰っていらっしゃる方がいらしたの・・・」 
南田洋子「ええ、随分、沢山。」
(南田洋子さんの項、終わり)

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2009年10月31日 (土)

10月23日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、10月21日に亡くなった女優の南田洋子さんが、過去「徹子の部屋」に出演された中から、「追憶・さん」として映像で在りし日の彼女を偲んでいました。(その5)「まあ、お互いにね、足らないものを何かで補いながらやりましょう、みたいな、ね。そんな悪気があって言った訳じゃあないんですけど」

1995年8月7日放送(当時南田洋子さん52歳)の「徹子の部屋」より
黒柳徹子「初めて、“太陽の季節”にあの方(長門裕之)が抜擢されて、貴方は、日活でスターでいらして、南田さんに呼ばれて、“貴方、役のイメージに合ってないわ”って言われたのがとてもショックだった、と仰ってましたけど」 

南田洋子「何か私のイメージでは8頭身で脚が長くて。
で、じゃんと、下を見たら正に日本人の体型ですからね。
うん、私もそうだし、まあ、お互いにね、足らないものを何かで補いながらやりましょう、みたいな、ね。そんな悪気があって言った訳じゃあないんですけど、かなり、いまだに言います。(笑い)しつこいですね・・・(笑い)」
(続く)

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2009年10月30日 (金)

10月23日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、10月21日に亡くなった女優の南田洋子さんが、過去「徹子の部屋」に出演された中から、「追憶・さん」として映像で在りし日の彼女を偲んでいました。(その4)「逃げ道をいつも、残してあげてね、どうぞって・・・」

黒柳徹子「いろいろ耳にも入るだろうし彼(長門裕之)の言動がおかしいと思っても、問い詰めたりなさらないの?」 

南田洋子「私ね、日本人の昔からの城攻め?ああいうの、好きじゃあないの」 
黒柳徹子「(笑いながら)城攻め?兵糧攻めみたいな?」 

南田洋子「そう、ああいうの嫌いなの、だから逃げ道をいつも、残してあげてね、どうぞって・・・」
(続く)

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2009年10月26日 (月)

女優の黒谷友香さんが10月25日放送のテレビ東京の「ソロモン流」に出演されました。(その1)

黒谷友香「尽くされるのが好きなタイプです。わがままだから(笑う)。」

テリー伊藤「どんな風にわがままなの?」
黒谷友香「本当だったら尽くして尽くして、その人を幸せにしてあげたいっていうのがねー理想なのに、尽くされる方が好きですって言っているくらいだから、何かわがままなんじゃあないかなあと思って」
テリー伊藤「自分でそれ分かってるんだ」
黒谷友香「うん」
(続く)

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